私が“自己否定”を辞められなかったのは、心の中の本音に気付く為だった。

30年間、辞められずにいる“自己否定”

・こんな事も出来ないなんて、お前は価値ないなぁ😈

・今まで何やってきたんだよ?😈

・どうせ出来っこないんだから、チャレンジなんか辞めちまえ😈

・ほら?出来なかっただろ?だから、お前はダメなんだよ😈

私の頭の中で、いつもイキイキ囁く悪魔たち。

常に自分に向けて、こんな言葉ばかり浴びせていると、いつしか周りに対しても、心の中で同様の思いを抱く様になっていきました。

・〇〇さんは、あんな事もできないのか。今まで何やってきたんだよ😈

・どうせ出来っこないんだから、チャレンジしなきゃいいのに。〇〇さん、馬鹿だなぁ😈

・ほら!やっぱり出来ないじゃないか。だったら最初から〇〇さんは、やらなきゃ良かったのになぁ😈

ふと思ったんです…

「こんな事ばっかり、脳内で再生してる人生は楽しいか???」

「いつまで、私はこんな自分でいるんだ???」

そして、私に愛ある喝を入れてくれる人と出会い、こんな言葉を頂きました。

どうして、こうなったのか分かる?

それはね…

条件付きの自分しか愛せていなかったから

よく「ありのままの自分を愛しましょう」なんて、歯の浮く様な台詞、目にすることはありませんか??

どっかのプリンセスが歌いながら、言ってましたよね(笑)

この言葉、本当に心から刺さる人とそうでない人には決定的違いがあり、私はそれに気付く事が出来ていませんでした。

〇〇な自分には価値がある。

〇〇がない自分には価値がない。

腹落ちする時もあれば、ちょっと上手くいかない様な事があると、すぐに忘れてしまい、自己嫌悪に陥っていた私。

私は、介護の仕事にずっと携わってきました。

そんな人間が、例えば施設で生活している高齢の方々に対して、以下の様な事を思っていたら、どう思いますか!?

・私は自分でトイレだって行けるのに…〇〇さんは、オムツの交換が自分で出来ない。有り得ない。

・〇〇さん、またさっき言ったこと忘れてる。普通忘れないのに…

・どうして私の言った事ができないの!?

…ちょっとヤバい光景ですよね(笑)

今のご時世、1発で虐待ケースです。

これは極端な例として、自分に対して、ついやってしまっている人は多くいるのではないでしょうか??

私は、その内の1人でした。

自分を虐めて虐めて、「だから、お前はダメなんだ!!!」って、地の果てまで追いやっていました(笑)

自分を追い詰めれば、成長すると勘違いしてた

自分の中の「ない」ものばかりに目を向けて、ない数が多ければ多いほど、自分の無価値感を噛み締めていた私。

喝を入れてくれた人は断言しました。

今ない状態とは、貴方が無価値になる理由には一切ならない。どんな時も、貴方には価値があるんだよ。

初めは、受け入れられませんでした。

私には勿体ない言葉だ。

そんなはずがない…と、また心の中で否定しました。

今の私が、過去の私に伝えたかった言葉

何故、受け入れられなかったのか。

まだ心の中で“条件付きの私”しか愛せていなかった。

でも、それは条件付きの私であったからこそ、乗り越えて来た過去があったからではないだろうか?

・本当は、困った時に手を差し伸べてくれる人が欲しかった

(けれど、そんな人はおらず、自分で感情を押し殺して、気丈に振る舞うしかないと思い込んでいた)

・自分のやりたい!って思ったことに真っ直ぐ突き進みたかった

(けれど、周囲の目が気になって、心配をかけたくなくて、安牌な道に進むことを選んだ)

・私にだって、やれば出来る!って思える自信が欲しかった

(やっぱり出来なかったじゃん…と思われるのが嫌で、なるべく失敗を避けてきた)

ありがとう、これまでの私。

今日まで、よく頑張ってきてくれたね。

これからの私は、自分の選択を正解にしていくから、「〇〇でなければならない」は、もう卒業して良いんだよ。

今ここから、選択は正解にすることが出来る

選択すること自体に善悪をつけて、「これで間違ってないかな!?」って石橋を叩くだけ叩いて、渡ろうとしていませんでした

すると、どうなるか?

石橋が壊れた暁には「ほら!やっぱり間違ってた!渡らなくて良かったー!」って現状は何も変わっていないのに、ぬか喜びしていた私。

選択自体に善悪はない。

その“選択を正解にする”気持ちがあるかどうか。

私は「何かに挑戦する(しただけで満足)」という条件付きの自分に価値を感じてきましたが、その先にある「挑戦して何を成し遂げるのか?」という到達地点を、まるで見ようとしてきませんでした。

これからの私は、挑戦の先で価値を生み出し、提供する!

「やってみよう!」と好奇心だけで動いて、何も成果が得られなくても、満足する様な段階からは、そろそろ卒業しよう。

私は、何の為に挑戦するのか?

何を成し遂げたくて、挑戦するのか?

得られなければ、悔しくて涙を流し

得られたら、嬉しくて涙を流す。

それくらいヒリヒリして生きていきたいよ。

たった1度きりの人生。

やり直しがきかない人生。

こうして、「今ここから変わってやる!」って今日より明日、明日より明後日の自分が前に進む姿を、応援していきたい。

だからこそ、1歩を踏み出したい人の背中を押せる存在でありたい

うん。これこれ。

これが伝えたかったんだ🎶

 

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コメント一覧

全6件
  1. schedule2025.06.01

    尚美

    なおさん!!
    コメントありがとうございます^^

    自分に愛のある言葉を掛けるって、
    これまで自分を追い詰めるほど
    頑張ってきた人には…難しいんですよね!

    「きっと大丈夫」「きっと上手くいく」✨
    これまでとは違った自分への関わり方
    やってみた感想、また教えてください

  2. schedule2025.06.01

    なお

    尚美さん
    こんにちは、なおです。
    素敵なコラムをありがとうございます✨

    内容ももちろん素敵なのですが、コラムもとても読みやすくて素晴らしいなと感じました!
    ブログのような感じで、タイトルを入れたり、字の大きさを変えるなどの工夫がされていて、執筆活動などお好きだったり、向いておられるのではないかと感じました
    ダラダラと字だけを書いている私が恥ずかしいです…。

    尚美さんが今回書いて下さったコラムの内容、とても心に響きました。
    私も自分を追い詰めることで乗り越えられると思っていましたし、自分の条件を付けて、「仕事がある自分はいいけど、仕事がなくてサボっている自分はダメだ」などと言っていました。
    しかし、本当に言ってほしかった言葉は支配する言葉ではなくて、温かくて愛のある言葉なんですよね。

    最近また自分責めがひどかったので、意識的に労わろうと思います

  3. schedule2025.05.25

    尚美

    jksknaiさん

    コメントありがとうございました!

    率直に感じたことを言葉にして頂けて
    そう感じる人も居るよなって、知れて
    良かったです。

  4. schedule2025.05.25

    jksknai

    うーん、響かない。
    結局恋人もいて幸せな人にこんなこと言われても見下してるだけでしょ?ってなる

  5. schedule2025.05.23

    尚美

    あやさん、コメントありがとうございます!!

    心惹かれるコラムを届ける事が出来て良かったです✨
    これからも、沢山書きますよ〜!५✍

    また次回もお楽しみに!!

  6. schedule2025.05.23

    あや

    尚美さん

    初めまして、あやです。

    コラムの投稿ありがとうございます。

    わたしの惹かれた言葉は、
    『心の中で“条件付きの私”しか愛せていなかった』
    です。
    そして、
    『でも、それは条件付きの私であったからこそ、乗り越えて来た過去があったからではないだろうか?』
    という言葉です。

    その後の
    『選択自体に善悪はない。

    その“選択を正解にする”気持ちがあるかどうか。』
    この言葉に、すごい感動しました。

    尚美さんに、教えていただきました。
    ありがとうございます。

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