解決済み
一緒に対処を考えてほしい
20代後半 その他

通院、薬物治療、カウンセリング以外にできること教えてください切実

visibility606 chat8 personぬつ edit2023.10.23

生きづらさはきっと家族にあるのはわかっていて、だから精神科通院も、薬物治療も、カウンセリングも受けて何年も頑張って…

でもだめで、今入院してて、入院してもやっぱり結局この消えたい気持ちは一切なくならなくて

あと何をすればこの気持ちは少しでも消えてくれるんでしょうか。いい加減息を吸ったり吐いたりするのすら毎日苦しい

具体例がほしいです、すみません…
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コメント一覧

  • refresh約2年前
    退会したユーザー
    そうですね。いろいろあると思います。

    生活の仕方を変える。環境を変える。考え方を変える。認識の仕方を変える。とりあえず、大枠ではこんな感じになるでしょうか。生活の仕方は衣食住のことです。環境は主には場所、人間関係についてです。

    生きづらいということですから、何をするにしても生きやすくなるようにということを意識したものを自分に取り入れるということになると思います。

    世の中にはいろんな生活の仕方があるでしょう。だから、いろんな生活スタイルを調べてみて、自分にできそうだったり気になるものを取り入れてみる。

    家族が原因かなと思うのであれば、距離を取れるように工夫する。関わり方を変えていく。自助グループのようなところや今通っているような医療機関以外の団体や集まりを頼っていく。そういうのもありますね。今いる場所と人間関係にどうすれば変化をつけられるのか考えてみる。

    今と違う考え方は、本を読んだり、動画を見たり、いろんな組織や人に出向いてお話を聞いてみるなどで仕入れることができそうですよね。

    認識の仕方については、これは一般的に言う、ものごとの捉え方を変えるというものではなくって、ここでは認識のシステム自体を変えるという意味で使っています。僕はこれを採用していますが、観察の瞑想を使ってそうしています。言葉だけ聞くと難しそうですが、やることは単純です。自分をよく見るだけです。気になるようでしたら調べてみたらいいと思います。

    いろいろと言いましたが、今とても辛いのでしょうし、入院中ですし、人それぞれの事情があると思いますので、やろうと思ってもできないことも少なくないかもしれません。ですから、少しずつ余裕を見て、できそうなことを見つけていけたらいいのかなと思います。

    ちょっとずつ息をしやすく。とりあえず、今はそこを狙っていったらいいのかなと思っています。
  • refresh約2年前
    退会したユーザー
    ぬつさん
    こんばんは。
    内容を拝見しました。

    具体例ですね。
    私は、他人に歩み寄り過ぎて食傷になりました。
    ※食傷と言っても、やけ食いでは無く心が傷ついた意味です
    悩みを聞き続けて、人には自分の胸の内は相談はしませんでした。
    性格的に、明るく周りは誰も多分想像出来ませんが。
    何年と続けて、精神的に崩れ気味になりました。
    それでも、日常で誰もそんな事は気付きません。
    不可侵が自分にはあって、絶対に知られない自信は有りました。
    ある日何もかも投げやりになりました。
    その友人は真っ先に話を聞いてくれました。
    私は友人に向かって、一番触れられたく事を言いました。
    周りに居た上辺だけの友人は、コッソリ消えて行きました。
    その友人だけは、それでもまた明日!と言ってくれました。
    もう会わない選択をしたはずが、その友人の事を考えた時に胸が重くなりました。
    次の日も、待ち合わせ場所に行ったら待っていてくれました。
    私は、その友人のお陰で心が救われました。
    だから、誰かに相談する事が出来るならしてほしいし、相談する相手が居ないなら自分をそこまで悲観しないで。
    辛いなら、一緒に寄り添うから。
    どんな事でも良いから、書いて伝えて欲しい。
    伝えてくれれば、必ず返事は返すから。
  • refresh約2年前
    退会したユーザー
    ぬつさんが消えてしまいたくなる原因は定かではありませんが、何かを無かったことにしたいのではないでしょうか。
    でもそれは無理な訳で苦しんでいるのかと思います。

    ただ物事と言うのは様々な作用の結果として起こるもの。
    それはある意味で関係者全員で作り上げた物語のようなものとも言えます。
    その物語の一人だけに注目して裁判を行ったとして、周りの人が素知らぬ顔をしているのであれば公平とは言えません。
    一方、周りの人も自身が関係者である事実に気付かないといけないのだと裁判官が強く主張すると、周りの誰かは知らず知らずの内に裁かれることになります。

    さて。
    人は歳を重ねるにつれ物語の数が増えていきます。
    物語の数だけ裁判官に罪に問われるのであれば、それは常に増していきこの世は罪人だらけになってしまうことでしょう。
    それはまあ何とも苦しい、生きづらい世界です。

    ここで疑問を感じないでしょうか?
    この裁判は誰かが苦しむばかりで人を助ける為の仕組みになっていません。
    そんな裁判を人の為だと言って行う意味はあるのでしょうか?

    ぬつさんは裁判を厳格に続けるべきだと思いますか?
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