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命の価値について

visibility199 chat3 personみくろ edit2025.08.19

「命は平等、公平」よく聞く言葉ですが皆さんはどう考えますか?
そもそも価値とはどう決まるのか、社会的か個人的かでも変わりますね。
いずれにせよ僕は平等も公平も望みません。
理由は端的につまらないからです。
今日亡くなった名前も顔も知らない誰かと僕の命が平等なんてたまったもんじゃない。
優劣があり、勝ち負けがあって、成長することが出来る。
僕の「夢中」はいつも不平等の中にあります。
人それぞれ差異があるからこそ面白く楽しい。
平等、公平、平和ほど不自由なものは無いと僕は考えます。

良ければ皆さんの考えや感想を聞かせてください

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コメント一覧

  • refresh2週間前
    退会したユーザー
    いいのではないですか
    実際誰かより優れているために頑張り実績を挙げている
    方もいらっしゃいます
    他人に価値観をどうこう言われても結局自分次第ですし
    どうなりたいかが大事なのではないでしょうか
  • refresh3週間前
    visibility_off

    ※このコメントは閲覧できません

  • refresh3週間前
    Q 50代 その他
    まず、「命は平等」「命は公平」という言葉。これは社会の中で誰もが安心して暮らせるように作られた“約束事”のようなものです。戦争や差別の歴史を見ても、どこかで「命の重さに差がある」とされた時に、必ず悲劇が起きてきました。だからこそ現代社会では「命は平等」と言い続けることが安全保障になるわけです。

    けれど、個人として生きている私たちの実感は必ずしもそうではない。むしろ「平等だ」と言われるほど、あなたが感じているように「そんなはずないだろ」と反発したくなる。だって、僕にとって大切な人の命と、まったく知らない誰かの命が「同じ重さ」と言われても、心が納得するわけがない。そこには、理屈と感情のズレがあるんですよね。

    あなたが言う「つまらない」という感覚は、すごく大事だと思います。差があるからこそ人間は夢中になれる。誰かより速く走りたいとか、うまく描きたいとか、もっと愛されたいとか。そういう欲求って全部「不平等」の中から生まれてくるんです。もし本当にすべてが平等で公平で平和な世界にいたら、人は退屈で生きる意味を見失ってしまうかもしれません。

    心理学でよく言うのは、「人は比較する生き物だ」ということ。比較は一見ネガティブに見えるけれど、それがあるからこそ「成長」や「挑戦」が生まれる。あなたの言葉で言えば、「夢中」が生まれるのは不平等の中なんです。それはとても人間らしい健全なエネルギーです。

    ただ、ここでもう一つ考えたいのは、「社会的な平等」と「個人的な不平等」をどう折り合いをつけるかです。
    社会のルールとしては「命は平等」じゃないと成り立たない。でも、個人の心の中では「平等なんてつまらない、不平等だから生きている実感がある」と思っていい。むしろ、その二重性が人間らしさなんだと僕は思います。

    あなたが抱えている「公平や平和ほど不自由」という感覚は、多くの人が心の奥でうすうす感じているけれど、言葉にできないものです。それをここまで率直に言えるのは、あなたの強さでもあります。

    だから僕からの提案としては、「命は平等」という“社会のルール”と、「不平等こそが面白い」という“個人の実感”を矛盾させたまま両立させてみること。世の中は平等であるべきだ、と言いながら、自分の人生では堂々と不平等を楽しむ。優劣や勝ち負けを感じながら、「俺は俺の命をこんなふうに輝かせたい」と思えるなら、それがすでに「命の価値」を自分で決めている証拠です。

    最後にひとつ聞かせてください。
    あなたにとって「勝ち負け」や「優劣」が一番鮮やかに感じられる瞬間は、どんな時でしょう? それを大切にすると、きっと“命の価値”がさらに自分らしい形で見えてくると思います。
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