martsunの日記『石になった宝石』
visibility74 edit2023.09.10

なんとか一週間を乗り切りました。
引きこもっていた頃は日に三回は口走っていた「死にたい」という独り言も今週はあまり出ていません。やっぱり働くと、否が応でも視線は前を向きますね。
日曜の今日は、棚の整理をしました。
若いころに買い集めたCDやDVD…。年取ってから置き場に困ってます。
CDプレーヤー(いわゆるバブルラジカセ)は実家に置いてきたし、最近はスマホやパソコンで音楽を聴いているので、CDはほとんど出番がありません。映画のブルーレイはPCの不調で再生できなくて、こちらも出番なし。中学の頃から集め始めた洋画のサントラや、高校生の頃から聞き始めた中島みゆきやユーミン、大学生の時にはまったブリティッシュロック…。6畳のアパートではスピーカーで鳴らすわけにもいかないし。スターウォーズやインディー・ジョーンズのテーマをガンガンに鳴らして、子供部屋で悦に浸っていた中学生の頃の自分は本当に恵まれていたんだな、と思う。
いつか、もっと広い家に引っ越したら、棚にCDやDVDをずらりと並べて、好きな時に好きな作品を鑑賞できる贅沢をもう一度味わいたいなあ、と夢想したり。大好きなリドリー・スコットのコメンタリーを延々と聴いていたい。
ヘッドホンで聴けばいいじゃん、と言われそうですが、わがままな自分はスピーカーのコーンが重低音でビリビリしてる感覚が恋しい…。
鳴らさないCDや映さないDVDなんて、石になった宝石みたいなもの。適切な再生環境を用意できないというのもあるし、音楽に関しては、単純に趣向が変わったというのもあるし。みゆきもサントラも以前ほど聴きたくなくなってきている…。単に飽きたと言ってしまえばそれまでだけど、たまに無性に聴きたくなるから始末に悪い。
両親の喧嘩が絶えなかった中学時代、映画のサントラは手っ取り早い逃避先だったし、孤独だった高校時代、みゆきは(彼女の暗い作風の曲は)自己憐憫のスパイスだった。周りがみな自分より偉く見えた学生時代に、アイデンティティー(笑)を確立しようともがいていた自分が、ロールモデルとして握りしめたプリテッシュロック(オアシス!)…。いま、埃がついた平べったいケースの中、ところどころ黴がついたジャケットの下に眠る円盤に、そんな苦く、切ない思い出の残照が降っている。
今の自分は、思い出は捨てられない、と言って奥さんをうんざりさせるどこかの旦那みたいだ。今や宝物から重荷に、宝石から石になりつつあるこれらの品々を手放せない。どんなに苦い記憶も、時とともに苦みが抜けて、経験した当時は思いもしなかったなにかに変わっていく。本当に不思議なものだ。もちろん一方で、時が癒しえないほど悲惨な経験というものもある。僕はそこから目をそらし、忘れるすべを身に着けたのかもしれない。そして自分なりのやり方で、惨めな記憶に価値を与え、輝きを見出しているのかもしれない。しかし矛盾しているようだが、今はそれらの思い出と距離を置きたい。
過去に経験した逃避も憐憫も他者への崇拝も、今の自分には必要ない。傲慢な言い方をすれば、必要無い、ということを、経験を通して知ったのだ。それは、それこそ僕の腰が曲がり、白髪になり、一歩も歩けなくなり、後ろを振り返る以外することがなくなった時に手に取ればいい記憶だ。今の自分とは遠い所にいる、かつての未熟な存在として…。
きっと今のペースでは、僕が自分の生き方に満足する頃には、かなりの歳になっているだろう。僕の成長は周りに比べ、ゆっくりし過ぎているのだ。
今日よかったこと♪
やろうと思ったことをやれている。それでいいんじゃないか。
読んでくれた人へのメッセージ
読んでくれてありがとうございます。
画像提供サイト Pexels
画像提供者 Eva Bronzini
※ログインするとこの日記をフォローして応援できます