てこの日記『杠閑話 03』

先の書き下し、単に間が空いたことへの言い訳で閑話とも言えず。
いくらお目汚しでも・・・。

なので、もう一つ。 この話、どこがスタートなのだろう・・・。

皆さんは、朝ドラなどを見る方だろうか。既に10月スタートのものも2ヶ月を過ぎているので旬ははずれてしまったのだが、春期にやっていた「らんまん」、植物学者の牧野富太郎氏の生涯を脚色してドラマ化したもの。

植物採取旅行の際に万太郎(ドラマでの主人公の名)が胴乱(採取した植物を入れる入れ物)と野冊(その場で簡易的に標本にして挟んで入れておくもの)を肩から下げて出かける。
あの姿が少し懐かしい感じがある。中学の時の学習塾の先生が地元の植生を調べておられて、夏休みに自由研究の題材にもなると塾の学生を連れていってくれた。採取のお手伝いをさせていただいていたわけだ。採取後の標本づくりもお手伝いしたので、標本づくりや、それを山のように重ねて保存する様子は記憶の風景と重なる。

時折名も知らぬ草花をみて、ふと想うこともあるが、きっかけを与えてくださったにも関わらずその後学術的な興味が芽生えたわけでもない。だからずっと忘れていたような遠い記憶なのだが、ドラマの採取の時の姿に懐かしさを覚えた。以前メルマガにて好きな匂いだったかで回答したのが「草いきれ」。ちょうど採取が夏休み時期だったので、盛夏の暑さと、採取地に渡る風で、少しむっとするような中での熱気と匂いそうしたのも記憶のひとつ。

そして・・・。まだ夏の余韻が残る頃、それらの想い、記憶をたどりたくて、採取地付近に出向いた。
・・・のだが。採取していた頃の空地などとうになくて、なにも記憶のそれにつなげられず。

変わっていくのが常で、空地など少しでもあれば、狂ったように開発されていく訳。すでに半世紀近く前ともなれば同じであるはずもなく。当然植生も変わっているのだろうと。

さすがにあの頃と同様の空地を見つけることなど叶わぬが、線路脇や公園脇、そして河川敷には、そうした草がある。折を見て散策がてらに密かに生きている草を見つける。季節柄、草芽吹くとはならぬが、暖かになるまでに、その頃に記憶に近い場所をもっと見つけて、もう一度見てみたいと思うのだ。ただの雑草といえるものが自生しているのを・・・。

散策ついでの探査はあるかもだが、この話の続きがあるかはわからない。暖かくなって気が向いたら、あるかもしれず。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

記憶の場所、記憶の風景ありますか?
そしてそれは、どんな時に思い出したりしますでしょうか?

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