てこの日記『春耕秋収 ー 其の九 おおつごもり ー』

昨日から引き続きの作業が、昼過ぎまで。もう少し早く進めば特にあてはなくとも年の瀬の街をふらついてみようかなどと。
予定通りなど、うまく行くはずもなく、慌ただしく過ぎていった。とりあえず切りの良いところまで済んだので良し。

で、結局選んだのは、相変わらずの散策コース。
先週の週間予報では、全国的に荒天の予想だった。けれど朝のうちは雨が残ったが、日中は時折日が指した。全体的に厚く雲が覆ってはいるが雨にはならなさそう。

普段なら気にしないが、時短営業など痛い目を合いそうなので、帰宅時間が知れない散策前に数日間の食料など買い込む。そんな感じで、さらに出遅れたがいつもの暮方よりは早く出立できた。

雲は厚くほぼ全天を覆ってはいるのだが、ところどころ雲の切れ間より空が見える。その切れ間の雲の端には暮方の陽光があたって金色に輝く。進む先にはまだずっと雲に覆われ灰色の風景が包むのだが、ゆっくりと好天にという感じではなく、時折切れ間から違う空が覗いている感じ。

いつものように川岸に着いた。相変わらずの天候だが明かりは残っている。天気が良い時の余韻のある変わり方ではないが、ゆっくりと夜のスイッチが入っていく。川辺を歩いていても少し上流側では明かりが残り、次第に夜に誘われるよう。
潮が満ちてくる時間なのだろうか、いつもより水面が近くに見え、流れは穏やかだ。

毎度、目的などない。ただひたすら歩くことで、日常と切り分けたいだけ。
そして、そろそろお供が上がる時間ではある。今宵は雲の中に沈んでいる。薄雲なればおぼろに光が指すものを、今年の最後は隠れたままのようだ。

いつもの途中休憩場所。あらためて堤上から川を眺める。穏やかだがゆっくりと遡っているよう。
少し休んで海に向かった。こちらの空は雲が消えていくようだ。今宵月の南中は何時ぐらいなのだろう。十八夜くらいなので年が明ける頃には、海の上で輝きを見せてくれるのだろうか。
いろいろ思案をしながら、海を眺めつ歩く。明日何もないのであれば、年をまたいでの観月もありかとも思う。残念ながら、すこし所要有りでそうもいかずに。

何事もなかったように、いつもの一日の終焉と変わらずに一日が終わる。まぁ、その日一日が特別であるより、いつもの日常がそのままに過ぎていくことが良いのかも知れない。
新たな年も改まって何かではなく、いつもの繰り返す日常がくることが平穏なのだろうと。

ゆく年の 惜しくもあるかな ますかがみ
     見る影さえに 暮れぬと思へば   紀貫之  「古今集」
     
「暮れ」は年の暮れと、自分の鏡に映る老いとを重ねている。祝歌ではなくて、残り少ない年月の感慨を詠ったもの。
想いとは別に、できなくなることも多くて、それを歳の所為などとはしたくはないのですが、気持ちはわかる気がします、お若い方には無縁でしょうが・・・。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

今年も、あと30分くらいですか・・・。
良い年を迎えられるといいですね。

ログインするとこの日記をフォローして応援できます

keyboard_arrow_up