ちーの日記『生きる苦しみ』

 おはようございます。昨夜は朝が来るのが怖くて引き伸ばしたくて寝るのがなんだか辛かったです。そして重苦しい朝を迎えています。

 昨日スマホで過去の写真をずっと遡って見てました。古いノートPC、移転前の会社でピースしてる自分、会社の近くにあったビル。自分で作ったらしい料理。沢山のスクショ。

 スマホという小さい機械で何でもできる今。買い物も、交流も。天気予報もいつでも見れる。指先一つ。それが怖くて、スリープモードにした。『あっち側』に連れてかれそうな気がして。小さな部屋に閉じこもっている間にまたいろんな事が勝手に進んでいきそうで。
 それはそれで一つの人生、今ならではの生き方なのかもしれないけどでも。思い出も記憶もスマホの中。指先一つで消せてしまう。それが怖い。

 テレビの音がないとどうにも心細いので、CATVのニュースチャンネルをつけてた。いろんな出来事があって、流れてくるのは誰かにとっての『一大事』。GWに海外旅行に行く人が円安の影響で減ったとか、『ざまぁ』としか思わないけど旅行好きな人にとっては耐え難い事態なのかもしれない。理解できないけど。旅行どころか散歩もしなくて、こないだ『散歩』の定義を調べたよ(暇だった)。『理由もあてもなく歩くこと』とあったよ。じゃあ『メンタルの為に散歩しよう』は純粋な散歩じゃないのか。

 思ったんだけど、きっと誰にでも忘れたい、目を背けたい過去とか現在とかがあるのではないか。だから無理に前向きになったり、旅に出たり、物を消費したり、音楽を聴いたり、一緒に生きる人を探したりして、時間を進めようとするのではないか。

 去年悪夢に悩まされている時も思ったが、この部屋がいけない気がしてきた。狭い部屋でみちみちと物に囲まれて過ごしていると、なんだか気がおかしくなる(もうなってるとはまぁ置いといて)。怖い。もうあの頃に戻りたくないのにまた同じ思いに苛まれている。
 自分に向き合い過ぎているのだ。

 夕方になってくるとだんだん気も楽になってきて(日内変動だね)、『昔を覚えてなくても目の前にある事を片付けていれば時間は過ぎる』と思えてきた。忘れる罪悪感にはどうしても苛まれるけれど、父も「死んだ人は時間が経つとどんどん遠くなっていく」「自分の体が借り物みたいだ」と言っていた。きっと深刻度が違えど誰でも持つ感覚なのだ。ただそのしんどさを口から吐き出せないのは辛い。こうして画面に向かって打つのみ。

 寂しくて、反応が欲しくて、SNSに何度も浮上してはいいねやコメントを確認して安心したりした昨日。

 今朝も重苦しく起きました。一日、長いなぁと。でも昨日もうっちゃれたんだから、今日も何とか終われるのだ。今日はお米を買いに行くというミッションを自分に課した。それだけできれば充分だ。

 仕方ないです。自分の人生を、生きていきます。くっ。

star今日できたこと♪

起きてる。生きてる。それだけで充分。今までの経験上、午後、夕飯を意識し始めた辺りから楽になってくるから大丈夫。昨日、イチゴを衝動買いしなくて良かった(1パック500円)。ちょっと自分にご褒美あげられない気分だったから、買ってたらきっと後悔したよ。冷静な判断。お米、安く買えるといいね。白いご飯美味しいよね。昨日の残りを今日レンチンして食べよう。炊いてくれてありがとう。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

お読みくださり有難うございます。ここに集う人はみんな悩み苦しんでる人と思ってます。生きる事はいつも難しくて孤独。でも一人で生まれてくる力があったのだから、なんか、生きられるのかなぁと、綱渡りのような心境でも思っています。めちゃくちゃ怖いです。不安です。失うものなんてないはずなのに。でも生きます。怖いよ。泣きたいよ。苦しみのない人生なんてきっとない。そう思って生きます。笑顔の裏の泣き顔を信じて。

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