ぼくたちは怒りを力に変えることが出来る

怒りは大切なことを教えてくれる。

怒りは自分にとって大切なものが侵されるときにそれを守ろうとして起こる反応。

例えば尊厳だったり、権利だったり、自由だったり、平和だったり。
他にも大切な人だったり。

怒りは大切なものを守るための感情。

どうでもいいことに怒ったりはしない。

だから怒りを否定してはいけない。
それは自分にとって当然の権利だから。

こんなことで怒るなんてちっぽけなやつだと思う必要はない。
大切なものを守ろうとしているのだから罪悪感を感じる必要もない。

怒りを感じるのは正常なこと。
そしていつだって怒りを感じるときというのは変化が必要なことを示している。

怒りは現状を改善するエネルギーになる。
だから怒りは怒りのまま受け入れればいい。

怒りを押さえ込んではいけない。

なぜなら押さえ込むと怒りは心の中で暴れ回り自分自身を傷つけてしまうから。

 

怒りを感じたなら必ず吐き出そう。

たまった怒りは自分を蝕む毒になる。

そして怒りを押さえ続けると自分の無力さにとらわれ無気力になる。
身体を動かしたり大きな声を出すのは生理学的にも正しい。

怒りを感じるとアドレナリンが分泌される。
アドレナリンは身体を動かそうとするためのホルモン。
また集中力も高めてくれる。

身体を動かすことでアドレナリンが正しく使われる。
我慢して分泌されたアドレナリンをそのままにしておくと身体を傷つけることもある。
溜まったアドレナリンは文字通り毒になる。

アドレナリンは行動するために分泌される。

つまり怒りによって人は行動力が高まる。

 

だけど当然だけど誰かに殴りかかったりするのは違う。

 

怒りは人を傷つけるために使うものじゃない。

怒りに「反応」してはいけない。
「反応」するというのは感情のまま反射的に行動するということ。
つまり感情的になって暴力や破壊行為や暴言を吐いたり悪態をついたりするようなこと。

 

そうではなく「対応」すること。
「対応」するというのはいま自分は怒っている、苛立っているということを認識して受け入れ、そして理性的に考えること。

 

まずは怒っていることを認め受け入れること。

 

そして自分はいま何を侵されたのか?自分は何を守ろうとしているのか?そう自問してみることで自分にとって大切なものが見えてくる。

 

それから次にやることは大切なものを守るにはどうすることが最善の策なのか建設的に考えること。

 

例えばレジで並んでイライラしているのは時間を奪われているから。ならその時間をどうすれば有効に使えるのか考える。

人に馬鹿にされたのならそれは尊厳を傷つけられたということ。ならその尊厳を取り戻すにはどうすればいいのか考える。

怒りには強いエネルギーがある。
だからそのエネルギーを使って勉強するなり鍛えるなりすればいい。

 

相手が攻撃してきたのならそれは相手も何かを守ろうとしているのかもしれない。
もしそうだとしたら相手が何を守ろうとしているのか分かれば建設的な解決法を見つける糸口になる。

 

もしただ八つ当たりされていのならそれは相手も何かで苦しんでいるということ。
それなら相手の本当のメッセージを探ればいい。

 

もし楽しみや優越感のために攻撃してきたのならそれは自尊心や自己肯定感が低いがゆえの哀れな行為。
自分より弱いものを見つけて攻撃する人間というのは弱者のやること。
本当に強い人間は強さを誇示するような真似はしない。

だって本当に強い人にとって強いことは当たり前のことだから。

蛇口を捻れば水が出るのは当たり前のことだけどそれを自慢する人間なんていないのと同じ。

 

誹謗中傷するのはそうすることで自分が偉くなったと思えるから。
つまり誹謗中傷して自尊心を満たそうとする人間は自分の劣等感と向き合うことが出来ない人間のやること。

 

そういう類の攻撃なら特に実害がないのであれば相手にしなければいい。
相手にする価値はないのだから。

 

冷静に相手の攻撃の理由を理解したならその攻撃の対処の仕方が見えてくる。

 

だけど安易に許してはいけない。

なぜなら無理に許そうとするのは怒りを押さえつけようとする行為に他ならないから。

 

そして許すということは怒りや苦しみを全て自分が背負わなければいけないということになる。

 

自分が苦しみを背負えばいいと思うのは残念ながら問題から目を背けているだけ。

 

許すことで心は解放される。
但しそれは心の底から許せたときだけ。
無理に許そうとしても苦しくなるだけでなんの解決にもならない。
許すことは間違ってはいないがそれは少なくとも最初にやることではない。

 

怒りを感じるということは必ずそこに大切な何かがある。
そして常に変化を求めている。

 

例えばキング牧師がリーダーとなっておこなった公民権運動も元は虐げられた黒人たちの怒りによって起きたもの。

 

「私は同胞たちに言わなければならないことがある。正義という殿堂に通じる熱を帯びた入り口に立つ同胞たちよ。正当な地位を獲得する過程で、我々は決して不法行為の罪を犯してはならない。
我々は、敵意と憎悪の杯を飲み干すことで、自由への渇きを癒やすのはやめよう。」

~キング牧師 ワシントン行進演説~

 

怒りは現実を改善するために使うもの。
決して怒りに対して「反応」してはいけない。
常に冷静に「対応」すること。

 

怒りは強いエネルギーになる。
大切なものを守るために。
現状を変えるために。

 

怒りのエネルギーを正しく使えば怒りは問題を解決するための強い力となる。

 

だけどそうは言っても実際は上手くいかないことも多々あると思う。

 

それでも諦めずに現実と向き合い冷静に「対応」し続ければそれは強い力となりいつか必ず道は開ける。

 

納得出来ないのなら怒ろう。
理不尽を許す必要なんてない。

本当の心の自由を手に入れるためには怒りを解放しなければならない。

そして冷静な怒りによって現状を変えていこう。

 

「我々は、尊厳と規律を保った高い次元で闘争を行わなくてはならない。我々の創造性に富んだ抗議を、物理的な暴力へと貶めてはならない。何度でも何度でも、我々は物理的な力に対して魂の力で立ち向かうという威厳ある高みへと登りつめなければならない。」
~キング牧師ワシントン行進演説~

 

ぼくたちは怒りを高い次元で取り扱うことによって問題を解決するための大きな力を手に入れることが出来る。

 

※参考文献

ネガティブ感情が成功を呼ぶ トッド・カシュダン ロバート・ビスソワ・ディーナー

毒になる親 スーザン・フォワード

スタンフォードのストレスを力に変える教科書 ケリー・マクゴニガル

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