忘れられる幸せ

忘れることが出来るから、人はまた前を向ける。

忘れる能力があるから、人は幸せだ。

そんなことを聞く機会が、たまーにある。

友達に忘れられたら悲しいけれど、友達に嫌なことを言われたり否定されたりした記憶は忘れたい。

人は、ワガママだ。

最近はめっきりないけど、対面相談に置き換えると私の中では面白いことが起こる。

私は、忘れられたい。そう思う。

勿論、時折思い出してもらえれば嬉しいが、基本は忘れられたい。

相談がある、悩みがある時に、対面相談は使うことが多いけれど、悩みを抱える回数はそりゃあ少ない方がいい。

成長する機会にもなるし悪いことばかりではないけれど、悩みたくはない、やっぱり。

だから、対面相談をやってる私は、思い出されないことは、忘れられることは、「幸せ」なんだと思う。

そう考えると、忘れていくこと=幸せ、でもあると、ふと考えることがある。

私には、ブログで何度も書いた「親友」がいる。

その「親友」は何人もいたけど、今はほぼいない。終わり方は悲しいものだった記憶がある。

名前も、声も、遊んだ記憶も覚えている。忘れてない。

でももし、相手が忘れていても、悲しくない。

私が覚えていて、向こうが忘れていても、悲しくない。

私は思い出して懐かしいと思うけれど、酷い終わり方だったから、覚えていること=不幸、だとは思っていない。

大切なのは多分、お互いが「今」「幸せか?」その一点だと思う。

忘れてしまうくらい軽やかな関係が良いこともある。んでもって、今まで忘れていたのに、会った時に思い出せるような関係っていいなと思う。

今はと思ったけど、もしその別れた「親友」達が、自分のことを忘れていたら、また仲良くなれるかもしれない。

そこが、お互いの「初めまして」になる。嫌な記憶は、私だけのものだ。私がそこに執着しなければ、私達は新しい関係なる。私がその新しい関係を、真っ新なものとして記憶に刻めるなら、昔の記憶は単なる「過去」になるから。

相手が覚えていたら、「親友」との関係は、自分の記憶と繋がる。2人の関係性は「続き」になる。嫌な記憶から繋がる関係は、私の心もきっと受け容れられない。

これは多分、相手が覚えてて、私が忘れていてもそうなる気がする。

そう考えると、「忘れたくない」は、その記憶や人や良い物事限定だ。本当に嫌なことに「忘れたくない」は多分ない。

なんの話をしたかったのか、何が言いたいのか、完全に支離滅裂だけれど(いつものことだけど)

多分、本当に仲の良くなれる人や、自分のフィーリングが会う人は、いつでもどこでも、どちらかが、またはお互いがその気になればいつでもそうなれる。例え、どちらかが忘れていても。きっとそうなる。

忘れる、忘れられる。どちらが良い悪いで議論されることなんて、あまりないことだろうけど。

忘れられたいなぁと思っている変わり者は、今日も生きてます。

出会った人達が、自分のことをどんどん忘れて行きますように笑笑

んでもって、どこかで思い出してもらう奇跡があってもまた面白いw

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2020.11.13

    ohana

    ぬいさん⭐︎
    歯車がかち合ったら、それが「縁」だと思えそうだなと思っています。
    集中するから疎遠になる、か。
    エネルギーを向けているなら強く残りそうなものだけど、ぬいさんが言っている意味、少し分かりそうな気がしています。
    忘れて肩の力を抜いて。それでも繋がっていられる、それが自然な姿なのかもしれませんね。

  2. schedule2020.11.10

    ぬい

    常に集中できるエネルギーをむけられる相手はそんなに多くなのではないかとおもいました
    集中するから疎遠になって
    それで関係性が消えてしまう
    なかなかそんな繰り返しのなかで歯車ががどこかでかち合うのかもしれませんね

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