忘れられる幸せ
edit2020.05.19 1,380
忘れることが出来るから、人はまた前を向ける。
忘れる能力があるから、人は幸せだ。
そんなことを聞く機会が、たまーにある。
友達に忘れられたら悲しいけれど、友達に嫌なことを言われたり否定されたりした記憶は忘れたい。
人は、ワガママだ。
最近はめっきりないけど、対面相談に置き換えると私の中では面白いことが起こる。
私は、忘れられたい。そう思う。
勿論、時折思い出してもらえれば嬉しいが、基本は忘れられたい。
相談がある、悩みがある時に、対面相談は使うことが多いけれど、悩みを抱える回数はそりゃあ少ない方がいい。
成長する機会にもなるし悪いことばかりではないけれど、悩みたくはない、やっぱり。
だから、対面相談をやってる私は、思い出されないことは、忘れられることは、「幸せ」なんだと思う。
そう考えると、忘れていくこと=幸せ、でもあると、ふと考えることがある。
私には、ブログで何度も書いた「親友」がいる。
その「親友」は何人もいたけど、今はほぼいない。終わり方は悲しいものだった記憶がある。
名前も、声も、遊んだ記憶も覚えている。忘れてない。
でももし、相手が忘れていても、悲しくない。
私が覚えていて、向こうが忘れていても、悲しくない。
私は思い出して懐かしいと思うけれど、酷い終わり方だったから、覚えていること=不幸、だとは思っていない。
大切なのは多分、お互いが「今」「幸せか?」その一点だと思う。
忘れてしまうくらい軽やかな関係が良いこともある。んでもって、今まで忘れていたのに、会った時に思い出せるような関係っていいなと思う。
今はと思ったけど、もしその別れた「親友」達が、自分のことを忘れていたら、また仲良くなれるかもしれない。
そこが、お互いの「初めまして」になる。嫌な記憶は、私だけのものだ。私がそこに執着しなければ、私達は新しい関係なる。私がその新しい関係を、真っ新なものとして記憶に刻めるなら、昔の記憶は単なる「過去」になるから。
相手が覚えていたら、「親友」との関係は、自分の記憶と繋がる。2人の関係性は「続き」になる。嫌な記憶から繋がる関係は、私の心もきっと受け容れられない。
これは多分、相手が覚えてて、私が忘れていてもそうなる気がする。
そう考えると、「忘れたくない」は、その記憶や人や良い物事限定だ。本当に嫌なことに「忘れたくない」は多分ない。
なんの話をしたかったのか、何が言いたいのか、完全に支離滅裂だけれど(いつものことだけど)
多分、本当に仲の良くなれる人や、自分のフィーリングが会う人は、いつでもどこでも、どちらかが、またはお互いがその気になればいつでもそうなれる。例え、どちらかが忘れていても。きっとそうなる。
忘れる、忘れられる。どちらが良い悪いで議論されることなんて、あまりないことだろうけど。
忘れられたいなぁと思っている変わり者は、今日も生きてます。
出会った人達が、自分のことをどんどん忘れて行きますように笑笑
んでもって、どこかで思い出してもらう奇跡があってもまた面白いw
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