「自分の存在価値が欲しい」という悩み

近況報告

みなさん、こんばんは。わしゅーです。

梅雨に入りました。さて「梅雨」は「梅の雨」と書きますが、ちょうどこのころ、梅の実が実り、梅干しなどの仕込みをする時期ですので、そのように呼ばれているのではないかと思います。

わしゅーも、3年ぶりくらいに、梅干しを仕込みました。「買ったほうが安い」などとはよく言われますが、どうも市販の漬物は、甘く味付けしてあるものが多く、自分の口には合いません。なので、自分で作るしかない、というわけです。

家庭で梅干しを作る場合、長期保存のためには、塩分をきつくします。このため、出来上がったものは、かなりしょっぱくなります。自分は、すこしずつ、水につけて塩抜きしながら食べています。

自分の存在価値

さて、最近のご相談で、「このお悩み、多いなぁ。。」と感じたのは、このお悩みです。

  • 「自分の存在価値がわからない」
  • 「自分には存在価値がない」

人間はだれしも、家庭、学校、会社といった「集団」に属しています。そうすると、「自分は、この集団の中に、いてもいい存在だ」という実感を得たくなります。所属と承認の欲求と呼ばれるものです。

この実感が得られないと、「自分は、いてもいなくても、同じなのではないか」と考えてしまいます。そんなときに、何か問題を起こしたり、失敗したりすると、「自分は、いないほうがいいんだ」という、否定的な気持ちが芽生えてしまう。

こうして、自分の存在価値が、危機に晒される、ということになります。

今回は、「自分の存在価値」について考えてみたいと思います。

「存在価値」の意味

さて、ある人が「存在価値がある」というとき、それはその人が、ある集団にとって

  1. 役に立つことをしている
  2. 他の人では果たせない重要な役割を果たしている

ということを、多くの場合、意味しています。つまり、

「ある集団がその人を必要とする」→「その人には存在価値がある」

という図式が成り立ちます。

つまり、基本的に、人間の存在価値は、その人が属する集団が決めることであって、自分で決めるものではない、ということです。

自分の存在価値は、自分が属している集団から、それを「与えられる」ことで、生まれてくる。これがあるからこそ、人間は努力し、他者に必要とされようと努めます。それは、その人に成長をもたらすことになります。

しかし、ここには、2つの落とし穴があるように思います。それについて考えてみましょう。

落とし穴①「存在価値」と「利用価値」は異なる

世の中には、「自分のために他人を利用してやろう」という、悪い考えをもった人が大勢います。こういう人は、金銭目的にしろ、労力目的にしろ、人間を「利用価値」としてしか見ていません。

他人を利用しようとする人にとって、「人間がつねに存在価値を求めていること」は、絶好のチャンスです。なぜか。『あなたが必要だ』という言葉を発するだけであれば、まったくコストがかかりません。元手ゼロで、相手の望むものを与えられる可能性がある。

そうすると、なにか、それらしい人間集団をつくって、ターゲットとなる人をそこに所属させる。そして、その集団における存在価値を、その人に与えることで、それと交換に、自分にとって都合のよい行動を、その人にさせることができてしまう。

存在価値を認めてもらう代わりに、延々と金銭や労力を搾取される、ということになってしまいかねない。「存在価値」が欲しいばかりに、こういう人の餌食になってはいけません。

なぜ、このようなことになるかというと、「存在価値」と「利用価値」は、まったく別のものだからです。利用価値は、つきつめると金銭です。いくら利用価値を提供しても、それは自分の存在価値を高めることにはなりません。

落とし穴②「人間に値札をつける」仕掛け

現代は資本主義社会です。資本主義というのは、あらゆるものを金銭に換算しようとする性質があります。値札をつけ、比較し、取引の材料としていくわけです。

昔の人たちは、このことの危険性をよくわかっていたので、お金に換算してはいけないものを認識し、道徳で縛っていました。「友情はお金には換えられない」「愛はお金では買えない」「名誉があればお金など必要ない」「武士は食わねど高楊枝」等々。。

しかしながら、現代はこうしたモラルも徐々に崩壊し、あらゆるものに値段が付くようになっています。決定的だったのは、SNSの普及だと見ています。「フォロワー数」「いいね数」という形で、人間に値札がつくようになった。

SNSというのは、端的にいえば、フォロワー数を金銭に変換する装置です。フォロワー数には、金銭とおなじ意味がある。なので、フォロワー数がその人の値札になってしまうわけです。

これは、自分の存在価値を、てっとり早く確認したい人にとっては、まさに光明ともいえる仕掛けです。自分の値札、すなわち価値が、はっきり数字であらわれて、他人と比較できるのですから。

しかし、本来、フォロワー数のようなものは、そのまま「自分の存在価値」とはなりません。フォロワー数は、あくまでも金銭と同じものです。それをそのまま「自分の存在価値」だと考えてしまうのは、詐術です。言葉を選ばず言えば「ニセの存在価値」でしかありません。

ほんとうの存在価値を得るために

「自分の存在価値」は、それを利用しようとする人にとっての「利用価値」ではないし、金銭に換算したフォロワー数のような「自分についた値札」でもありません。

本来の「人間の存在価値」というのは、金銭に換算できるものではありません。

どういうことか。金銭というものは、お金を支払う方と、お金を支払われる方があります。金銭の受け渡しにおいては、お金を支払う側、つまりお金を持っている側が、圧倒的に優位です。金銭の取引は、非対称で、一方的なものです。

しかし、存在価値をめぐる、自分と集団との間の関係は、そうではありません。「ある集団が、自分の存在価値を認めている」とき、「自分もまた、その集団の存在価値を認めている」ということだからです。存在価値とは、対称で、相互的なものだということです。

そのようなスタンスに立てば、存在価値というものは、以下のような関係性から生まれてくるものだとわかります。

  • 『自分は、この人達(集団)から、大切なものをもらっている。そのお返しのために、この人達(集団)にとって、もっと役立てることをしたい。』

このような、「自発的かつ相互的な関係」こそが、健全な「自分の存在価値」を育むということです。

ココトモは、このような相互性を重視しています。ぜひあなたも、悩みを相談し、そして、誰かの相談に乗ってください。

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