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この世界で生きるのが辛い・生きづらい
visibility1157 edit2016.03.08
どんな答えが返ってくるのか検討つかないですが、自分なりに書いてみたいと思います。
<要約>
・とても生きづらいと感じている。しかし、漠然としていて説明できない。
・こころが塞いでしまい、現状では人にすべてを打ち明けることが(いわゆる「相談」)できない。
<要約・質問>
・この状況で死ぬのを待っている「いま」のわたしに、何ができるのか。
↓↓ここからは本気でわたしを知りたいかたたちに向けた生のデータです。↓↓
<生い立ち>【】内は「いま」のわたしによる主観です
1993年生まれ、22歳男性。政令指定都市在住。
1歳半検診で「自閉傾向(軽度)」と診断。
軽度の言葉の遅れとこだわりの強さ(水道から出る「水」に強い興味)が根拠。
2歳から一月1回ペースで養育を受け、地元の保育園に入る。
【自閉傾向であり、入園の手続きには慎重を要した。地元議員の便宜を図ってもらい理解のある園長の保育園を選択】
(3歳検診は未受診のためデータなし。)
6歳、市内で引越し、地元の普通学級の小学校に入学。
同時に特例(両親が共働きではない)で学童保育所にも入所。
7歳ころ、担任の教師とウマが合わずトラブルが多発。何度も親へ電話で苦情が入る。
8歳、学童保育所を退所。同年、父親が単身赴任勤務を始め、家には母とわたしの二人暮らしに。
【学童で、鬼ごっこで鬼にされ続けたことに落ち込み、遊ぶことに辛くなった記憶がある。】
10歳、友達との付き合いでトラブルを起こし、学校内で孤立し始める。
【中学校まで地元のエスカレーター式だったので、
トラブルの多発した同じ友達からからかわれることが多かった。】
【相応の恨みを買っていた。「死ね」「気持ち悪い」という言葉が日常的だった】
10歳ころ、ネットゲーム(MMORPG)を知る。
【学校内での「精神的な」居場所がなくなり、逃避するために今日まで中毒・依存する。】
15歳、某国立高専(電気分野)に入学。学生寮に所属し寮生活。
【寮内での大きなイベントでもコミュニケーション不足によるトラブルが多かった。誰かを頼ることができず、つねに距離をとって付き合っていた】
17歳、退寮。はじめて精神が悪化し身体が動かなくなり、不登校になる。出席不足によりはじめての留年が確定。21歳までに留・休年4回。高専で必要高卒認定単位数を取得。
18歳の秋、一人暮らしを始める。
【母との二人暮らしでトラブルが起こるようになり「殺される」恐怖を抱くようになっていた。母の出すご飯が食べられなくなった】
18歳~20歳までの間、地元の精神科を3院通院。診断名は「うつ」→「自閉スペクトラム障害」。WISC-III総合IQ:118
【わたしが自閉症であることをはじめて知ったのは19歳の夏】
21歳、センター試験で某私立大学心理学部に合格し高専を退学→入学。
大学の授業は前期の一月で挫折し、後期は休学中。今に至ります。
<コメント>・・・長文読解でさぞお疲れでしょう。
読んでいただくとわかる通り、対人関係について失敗の多い人生でした。
でも最初からというわけでなく、
7歳ころまでは普通に幸せだったんじゃないかと、うすい記憶に残っています。
そこで、最近は「家族そのもの」におかしさを抱くようになりました。
ちょうど7,8歳を過ぎたころ、わたしの母が父の悪口(ダメなところ)を言うようになったのです。
父が単身赴任で出て行くと、母の「父親観」にわたしは飲まれ「父についての嫌悪感」がこびりついてしまったのです。
いまも、わたしの父に対して強烈な嫌気・苦しみを覚えます。
特に金銭面で暴力的な父を想起しておびえるわたしがいます。
ここに、わたしの「認知のゆがみ」があるんじゃないかと邪推していますがどうなのでしょうね。
さて、これからも「対人関係」は生きている限り続くのでしょう。
これだけでも十分苦しいと感じるものを、
なぜこれからも生き続けるのかと考えると、なんだか闇がいっそう深まってしまうのです。
20歳から、いましていること・・・自己啓発の勉強。
アランの幸福論、偉人伝、アドラー系(「嫌われる勇気」など)からは学ぶことが多かった。
ところがあらゆるデータをもってしても、わたしの本当の苦しみ、悩みをすかしてみることができないので、今回、こちらのサイトを頼ることにしました。
「いま」のわたしに、何ができるのか。そのヒントを教えてください。
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