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ただ話を聞いてほしい

よく思い出すトラウマ(?)
visibility953 edit2022.10.03
ありふれた悩みでしょうし、こんなことを時間が経っても忘れられない私を蔑むかもしれません。
私が小5の頃です。私は当時、容姿のことで虐められていたので、こいつらと同じ中学に行くのは嫌だ!と思い両親に中学受験をしたいとお願いしました。
私は飽きっぽい性格だったので、両親は猛反対しましたがなんとか説得し、塾に通わせてくれることになりました。
御三家を第一志望にしてた私の勉強メニューはかなりハードでしたが、勉強は好きだったのでなんとか第2志望の中学に受かりました。私は第一志望には落ちたものの、達成感で満ち溢れていました。
しかし、母親は違いました。
母親は「○○(第一志望)じゃなくて××(第2志望)に通うなんて(私の名前)が可哀想だ!」「××なんてクソみたいな学校」など私が通うことになった学校への悪口を言い、暴れました。多分、飽き性な私が真面目に勉強しているのを見て私が天才にでもなったと思ったのでしょう。そんな私が落ちたのが信じられなかったのだと思います。
幼稚園に入った頃から母親からの暴力は受けていましたが、ヒートアップするようになりました。そんな私をみても父親は「朝っぱらから暴れるな」「少しは世間体を考えろ」などを言うだけで止めてくれはしませんでした。
母親が暴走する中でも、"こんな家早く出るために勉強しなくちゃ。2年でなんとか第2志望まで漕ぎ着けた力があるんだから、中学でもやっていけるはず"という気持ちがあり、なんとか挫けずに頑張ろうと思いました。
しかし、ほんの少しの好奇心で母親の携帯を見たことで状況は変わりました。当時、母親が変に熱心に携帯を弄っているので不審に思ってメールを見てしまったのです。
そこには第一志望の学校宛に「うちの○○を合格させてください。それが出来なければ点数だけでも教えてください。」というような内容がありました。それに対し、校長先生からの断りの返信もありました。
私は頑張ってきた2年間を汚されたような、凄く裏切られた気持ちになりました。
さらに、第一志望に受かった友達を羨ましく思った母親が「3年後○○ちゃん(友達)と同じ高校に行かせます!」とその友達の母親に小学校の卒業式で言ったのです。私はその時まで自分はエスカレーターするものだと思ってたので驚きましたし「これから入る中学の友達もどうせ3年で別れることになる。みんなエスカレーターするから私の事なんて忘れるんだ」とひとりよがりになりました。
私は中学で少し反抗的になって、中二までろくに友達を作ろうとせず先生に反発したりしました。そして中高一貫の勉強と高校受験の勉強の両立で気が狂いそうになりました。
結局、高校も落ちてしまったんですけどねwその時も色々あったんですが似たような感じなので割愛します。
母親の事は許せないし忘れようと思っても忘れられませんが、反抗的になっていた私のそばに居てくれた友達と、高校受験の時に親身に相談に乗ってくれた先生のことも忘れられません。(友達とは今も交流があります)
私は今二浪目で少し前まで無気力でペンを握ることが怖かったのですが、最近勉強を再開しました。
三浪になると思いますが腐らずに最後まで受験と向き合えたらなと思いますし、家を出たいと頑張った当時の自分を蔑ろにはできません。
勉強で余裕がない時や眠れない時によく思い出すので書いてみました。
自分語りの長文を失礼しました。
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