てこの日記『春耕秋収 ー 其の一 ー 二夜の月』

後冷泉院御時、九月十三夜月宴侍けるによみ侍ける
大宮右大臣

すむ水にさやけきかげのうつればやこよひの月の名にながる覧(らむ)

まだ陽の残るうちに経った。今日この日が、九月十三日となる(日付が変わったが・・・)。
偶に、そうするように海へ向かう。その散策途中、河口側の堤で休らう。その折に、「後の月」を拝もうという魂胆だ。
澄む水とも、清けきともいえぬ、街中の川べりではあるが、中潮で明るく月が昇れば感慨もあろう。

陽がだいぶ傾き、空の色がモノトーンのように少し沈んだ。低層の雲が少し茜に染まる。日中の明るい日差しが、そうした穏やかな明かりに移り変わる頃、遊歩道の行く先に薄っすらと月が昇る。低く雲は残っているようだが、上層はすっきりしている。
川岸に着いたところでも、まだ明かりが残っていた。ゆっくりと夜色に化粧直しする少し前。消えかけた昼色と宵闇が交錯する瞬間に、南西の空が鴇色から紅赤に染まって見える。行く先は暝色となってきて、月の明るさは少しずつ増していく。対岸に渡ったあとも薄明かりが残った感じ。大潮の逆巻くような流れではないが、海に向かう穏やかなそれではなく、拮抗しつつも、少し遡るような流れ。そして月はさらに明るく。

堤に上がり海に向かうと、東の空に月は歩みと沿うように傍らにいるよう。
目あてに違わぬように河口に着き、堤を降りて川面に降りた。
休らうその場所は、宵闇に沈んで街明かりが照らす川面と、晴夜を照らす「後の月」。
「後の月」、ほんの少し望に足りぬ月。未完とも言えるそれが、精一杯輝いているのは、望月のそれより、まばゆくも思える。

宵闇で沈み、それらしか映らないその橋所で、半時も過ごしたか。
それから海に出た。海に出たときには、気がつくとずっと高く昇っていた。

十三夜は、日本古来の風習。そして、大陸伝来の十五夜。その二つを愛でるのを「二夜の月」などと言う。二つの名月があって、片方だけを愛でるのを「片見月」と忌むこともあるのだが、これは迷信らしい。
いつしか、そうした風習に縁起を担いで、「二夜の月」と言うような話となったようだ。

ことの真偽は、この際関係ない。晴夜を照らす明かりに、想いを委ねられるのなら・・・。
吉兆として、担いで良い縁起は受け入れようかと。そして今年も、「二夜の月」を愛でることができた。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

十五夜は、話題にあがっていましたけど・・・。十三夜は、興味なしでしょうか?。
今宵も綺麗な、月でしたよ。

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