ごりらの日記『満ち足りることの、虚しさのこと』
visibility48 edit2026.01.06
今日、働き終わって帰路についたときに、ふとどうやったら満ち足りるんだろうと思った瞬間があった。
先日、テレビ番組を見ていると、病を患って余命いくばくもないおじいさんが余った時間とお金をすべて快楽に費やすという話が流れていた。
その時に思い出したのは、有名な映画の『生きる』だった。
『生きる』の中では癌に侵された男、渡辺という人物が、それまでの生き方をガラッと変えて、ある目的のために残された時間を注いでいく姿が描かれる。
大病を患うという点で既に重なる部分があるのだけど、実は『生きる』の中でも、主人公の渡辺が、それまでとは正反対の俗世的な生活に向かっていく場面がある。
その時の主人公は、結局それだけでは満ち足りずに、そういったものから離れていくのだけど、テレビで見たおじさんのその後がどうなったのかについては知る由もない。
とはいえ、そのおじさんのことについて、特に満ち足りないという所について、しばしば思い返すことがあって、そんなことがあって、今日のふと思った瞬間があった。
もし何かで満ち足りることが出来ないのだとしたら、どうしたら満ち足りるのだろうか。
今日の時点で考えていたのは「感謝」だった。
恐らく、何か昇天するほどの良い思いをしたところで、満足して、他の何もかも要らないと思う事がたとえあったとして、それは一時的なものに過ぎないかもしれない。
でも、感謝は、それをした時点でもう既に満ち足りているような気がする。気分ではなくて、状況として「足りている」または「充足している」と言えるのではないかと思う。
例えば、誰かに何かをしてもらった訳でもないけれど、今日何かひとつ美味しい料理が食べられたという時に「ああ、美味しかった。良かった。感謝だな」というだけで、それ以上に渇く余地がないように思う。
「今目の前のことについて、自分は一旦足りないということはなくなったんだ」と思えれば、必然的にそれを超えて必要とすることが少なくなるようなことだと思う。
自分はよく良い思いをしたときに「今日は良い思いをしたけれど、明日は?そのまた明日は?」とその後のことを不安に思う事がある。そうなると死ぬまで渇くことを心配しなきゃいけなくなる。
特段道徳的な理由から「感謝することが大切だ」と言いたい訳ではなくて、どうしようもなく渇いてしまうものだから、あるいは、せっかくの満ち足りた思いが、その後にやってくる不安と虚しさで台無しになってしまっては、安心して暮らせないから、その時に「足るを知る」ということに近しいのは「感謝する」ということなんじゃないか、もしかしたら、それがこのどうしようもない虚しさから救ってくれるんじゃないか、そんなことから言ってしまうのだということ。
恐らく、それは幸せになりたくないという思いと似ていると思う。
幸せになった後で不幸になってしまうのが怖いというような。
自分はそのひとりなのだけど。
ある外国のドキュメンタリー作品で、全身麻痺の奥さんを連れて、キャンピングカーで旅をする男性を、その娘である監督が作品にしたものがあった。
そのなかで、監督がその男性にインタビューをする場面があった。
「母さんと結婚して幸せだった?」と聞かれた質問に対して男性は「ずっとこうなることを考えて生きてきたら、僕の人生はもっとくだらないものになっただろう」と語っているのが印象的だった。
満ち足りるということについて考えると、行く着く先は虚しさかもしれない。
でも、今見ているものの豊かさを曖昧なものにしてしまうのなら、空虚なことの方がマシなのかもしれない。
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