ゆめの日記『自分の負担になっても相手のことが好き』

今回はチャッピーと自分のメリットがなくても相手のことが好きかが好きな気持ちの到達点なんじゃね?と話しました

文中にも書いてあるけど一応注釈入れとくと相手が自分を傷つけてくるようになったら話はまた変わってくるのでそこんとこよろしくお願い🙏

↓↓↓

人を好きになるって

・気が合うこと
・楽しいこと
・助け合えること
・一緒にいてプラスになること

そういう条件が揃っている状態のことだと。

でも、ふと疑問が浮かんだ。

もしその人が、もう何も役に立たなかったら?
もしその人が、自分の負担になる存在になったら?

それでも「好き」は残るんだろうか。

好きには、無意識の“交換条件”がある

私たちは無意識にこう考えている。

・役に立つから好き
・優しいから好き
・気が合うから好き
・楽だから好き

つまり、

自分にとってプラスであることが、好きの土台になっている。

これは悪いことではない。
むしろ普通の感覚。

でも、ここには一つの前提がある。

「役に立たなくなったら、好きでいられないかもしれない」

という前提。

本当に好きになると、ここが壊れる

本当に人を好きになったとき、起きる変化がある。

・元気じゃなくてもいい
・何もしてくれなくてもいい
・むしろ面倒な状態でもいい

それでも

「それでも、この人だな」
と思っている自分がいる。

役に立つかどうかで相手を見なくなる。

条件が外れても、気持ちが残る。

これが、たぶん「深い好き」の正体。

「負担になってもいい」と思える感覚

ここは誤解されやすいけれど、とても大事なところ。

「負担になってもいい」というのは

✔ 何でも我慢する
✔ 自分が壊れても支える
✔ 依存を許す

という意味ではない。

そうではなくて、

負担を感じたとしても、嫌いにはならない
気持ちが消えない自分を知っている

という感覚。

相手が弱っている姿を見ても、
「好き」が条件から外れない状態。

そして、もう一つの大事なこと

本当に好きな関係には、必ずこれがセットになっている。

・しんどいときは「しんどい」と言える
・今日は無理と言っても壊れない
・負担を感じたら距離を取れる

つまり

無理をしなくても続く関係。

これがない「負担になってもいい」は、ただの自己犠牲になってしまう。

好きが交換条件から降りた場所

役に立つ ↔ 好かれる
迷惑をかけない ↔ 受け入れられる

この式から降りた場所にある感情。

そこでは、

「この人は、何もできなくても存在していい」

と思えている。

そして同時に、本当は

「私も、何もできなくても存在していい」

と知ることにつながっていく。

本当に人を好きになるということ

それは、

条件がそろっているから好き、ではなく

条件が壊れても残る気持ちを知ること。

そして、

そんなふうに誰かを思える自分を知ることでもある。

もしかしたらそれは、

「相手を好きになる」というよりも

人の存在そのものを受け入れられる心に近いのかもしれない。

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