不完全であると自覚する

早速ですが、あなたはコラム画像の『円』を見た時、どちらに気を取られますか?

・・・。

 

今回のコラムで使用している画像ですが、一部欠けている方に目を奪われませんでしたか?

この現象、人の潜在的心理が大きく影響を受けた結果によるものです。

では、なぜそのような現象が起きるのかはのちほど説明をするとして、まずは『○(円相)』(えんそう)という禅語の話をしてみます。

禅語でいう「○(円相)」(えんそう)とは、足りないところも余分なところもない究極の姿。これひとつで世界のすべてを表すことが出来る完全な図形です。始まりも終わりも、生も死もつながって循環していく。こうした流れを実感できたら、思い悩むことも少なくなります。

たとえ今、何かが「すっきり」していなくても、いずれは丸くおさまります。四角四面も時には必要かもしれませんが、疲れてしまうこともしばしば。あらゆるものが引っかかってしまうその角(かど)をどんどん削っていけば、穏やかな丸い境地が待っています。

 

『角(かど)が立つ』と良く言いますが、その意味は、理屈っぽい言動によって他人との間が穏やかでなくなる。(例:「角が立つ言い方をする」)

すなわち「角(かど)」が鋭ければ鋭いほど、他人との間が穏やかでなくなるわけです。

三角形 → 四角形 → 五角形 → 六角形 → 十二角形 → ・・・→ 円(えん)と、徐々に「角」が滑らかになると、他人との間が穏やかになっていくという訳です。

私が伝えたいのは、私達は「円(えん)」に対して、それ相当の意識をしなければ見落してしまいます。なにせ「角」がなくなってスムーズになるから。

★「始まりも終わりも、生も死もつながって循環していく。」

★「流れを実感できたら、思い悩むことも少なくなる。」

★「すっきりする。」

結果、意識できないがために体感・実感することが出来ない。気がつくことすら出来ないというわけです。

 

では、ここで先ほどの画像について何がわかるのかを説明します。この2つの図形を見て「不完全」な方に気を取られましたよね?

この現象の理由なんですが「人間」は不完全なものに対し違和感を覚え、そちらに気を取られてしまう生き物です。逆の表現をすると、完全である「円(えん)」を見落すのが「人間」の特徴なのです。

日常生活において「円(えん)」となる物事である『普通』や『常識』といった事柄は当たり前だと認識します。逆に「不完全」なものに対して『異端』や『非常識』といった解釈をする。その解釈が大きな問題となると判断した時『排除』しようと防衛反応的な行動になる。でも、その認識や行動は本当に正しいのでしょうか。そもそも『普通』や『常識』それから『異端』や『非常識』の基準ってなんでしょうか。

 

「○(円相)」(えんそう)という禅語には、それ相当の「心構え」と「知恵や機知」が必要です。そもそも、この「○」や「円」の基準となるものは誰もが同じとは限りません。ただ「○」や「円」というだけでなく、そこには、もっと奥深い意味があるという事を、しっかりと意識して日常の生活を過ごさないといけないのです。

「○(円相)」(えんそう)という禅語には、それ相当の「心構え」と「知恵や機知」が必要です。そもそも、この「○」や「円」の基準となるものは誰もが同じとは限りません。ただ「○」や「円」というだけでなく、そこには、もっと奥深い意味があるという事を、しっかりと意識して日常の生活を過ごさないといけないのです。

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