自分の障がいを自分で受け入れられたと思った日
visibility542 edit2024.08.14
この文章を書こうと思ったのは
以前、とあるかたから、
「どうやって障がいを受容しましたか」
というような内容の質問を受けたことがあります。
その時に少しだけ答えさせていただいた記憶はあるのですが、「いつかこの場所で書きますね」と書いたことを覚えています。
そのかたとお話ししてから、だいぶ経ってしまったのですが、私なりにここに記してみようと思いました。
私の障がいは脳性まひ
私の障がいは脳性まひです。
生まれた時に重い仮死状態で生まれたことで、脳の一部分に酸素がいかず、この障がいになったと言われています。
体全体に、強弱があるものの、不随意運動(自分の意思と関係なく体が動いてしまうこと)があり、言語障害があります。左手はまあまあ動きますが、歩けないので電動車椅子に乗っています。
初めて障がいを意識した日
初めて自分の障がいを意識したのは、小学校低学年の頃だと思います。
私は地域の小学校に行けず、肢体不自由児施設に入園することで施設に併設された学校に通っていました。
でもその施設内では、なぜかあまり自分の障がいを意識していませんでした。
ある年、多分小学校低学年ぐらいだったのだと思いますが、夏休みか冬休み(それも定かではありません)施設から実家に帰り過ごしていた時に、妹たちが「ご近所の○○さんのところに行く」と言い出しました。
そのかたは時折私たちきょうだいを預かり、ご飯を食べさせてくださったりした方でした。
私は、連れて行ってもらったことがある家だということで、自分もいけるものだと思い、
「私も行く」
と言いました。
「お前は行けない」と止めたのは母でした。
「どうやって行くの?お前は(ひとりで)行けないでしょ」
という母に、「膝歩きで行けるよ」と答えると、
「ダメに決まっているでしょ!」そんな声が返ってきました。
施設の敷地内ではどこを四つ這いで這っても膝歩きで這っても誰にも何も言われないのに、実家の外は這ってはダメなんだと、この時初めて気がつきました。思えばこの時が、私が初めて障がいを意識した出来事だったように思います。
障害が治らないとわかった日
それは小学四年生の時でした。やはり夏休みで実家に帰っている時です。
(私がいた肢体不自由児施設では、学校が休みになると10日から2週間ぐらい、実家に帰される期間がありました)
母が突然私に言いました。
「おまえの障がいが一生治らないとしたら、どうする?」
私はこの時に、自分の障がいが治らないということを知り、体が治るから施設に行かされたわけではないということにも、気がついたのでした。
私の人生を自分で認められた時
その後何十年もの間、私は、「誰かに」私を認めてもらうことばかりを追いかけて生きてきました。私の障がいごと、この人生を生きていることを認めてほしい、家族に、知人に、社会に、私を認めてほしい、そんな思いでいろんなことにチャレンジしてきた時間があります。
でも誰も、私の望むようには私をみてはくれませんでした。それがとても悲しく、怒りの元にもなりました。
でもある日気がついたのです。
いろんな出会いを繰り返す中で、ある人が私に問いました。
「あなた、自分のこと、本当に好き?」
本当に好きかと問われると、はい、と言えなくなっていました。
「果たして私は私を認めているだろうか」「私の生き方、人生を認めているだろうか」
実は自分を認めてこなかったことに気がついたのでした。
自分の人生を見直す
それまでの私は、いわゆる「人並みに」生きたいと思っていました。自分ではできないことがたくさんあっても、福祉制度を活用すれば「人並みに」生きることができると信じていました。
人並みというのは、なんだったのでしょう。
一人でできないことがあるということは、私の人生においてどのような意味を持っているのでしょう。
私は、自分自身が自分の体や状況を認めていなかったことに気がついてから、ゆっくり自分を見直していきました。
体が思うように動かない私のこの人生は、私にとってどんなことを感じさせてくれているのか、毎日の出会いや出来事は私にどのようなことをくれるのか、そんなことを考えているうちに、私は私自身を誰かとは比べなくなりました。
人と比べなくなった時、「人並みに」という考えを手放した時に、多分障がいごと自分を受け入れられたのだと今は感じています。
長い年月がかかってしまったけれど、悩む時間も大事だったのかなあと今は思います。
自分のできること認めていく
今の私の課題は「自分のできることを認めていく」ことではないかと思います。
私はできる、と誰かに認めてもらうのではなく、私自身が自分のできることを認めて社会に返していくということです。
それが誰にも気が付かないことであっても、自分がそれができて、そのように動くことで誰かが少し楽になったり、その場がきれいな雰囲気になるなら、嬉しく思うからです。
自分がどのようなことができるのかを知ることも大事なことかも知れないと感じています。
長い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました。
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