何事も善悪で判断したかった私へ〜思い込みが自分を苦しめている〜

物事に善悪をつけることって悪いことなの?

「えっ、そもそもの見出しから善悪で判断しちゃってるじゃん。」って気づいた方、鋭いですね。笑

それだけ私は、これまでの人生の中で無意識のジャッジを繰り返し、ジャッジすることは、人生において当たり前の行為でした。

※このコラムの大前提は「この世に良い/悪いなんて…無い!!!

これが今回、私の最も伝えたいテーマです。

この記事は、以下のような思いを抱く方々に、是非読んで頂けたら嬉しいです。

・物事は白黒ハッキリしてほしい!グレーゾーンはいらない。

・正解、不正解を教えてもらった方が楽じゃん…

・「こうあるべき!」って思い込みが強い自覚あり。

・他者評価がめちゃ気になる。

・普段から我慢していて、それが突然爆発しちゃう…

・私って完璧主義なんだよなぁ…

・他人に対して「何で○○出来ないの?」「○○するべきだ」と気持ちが強くなって、イライラする。

このように思うことあるでしょうか?

これ、ぜーんぶ私の中に生まれたことのある思いです😇

私は学生時代から、こんな思い込みを抱え始め、そして社会人となった今も、根強く【生き辛さ】として私の心の奥底で、私の人生の舵を握っています。笑(今もなんかーい🤣)

だがしかし、人間何度も同じような出来事を繰り返すと、いい加減「おかしいぞ?」と違和感を覚え、その原因が何か考え始めます。

(これ、潜在意識が私たちに「いい加減、気付いてよー!」って呼び掛けてくれているサインです)

そして私の場合は「私自身を苦しめてきたのは自分じゃんか…」と30歳目前に気付きました。

境遇でも、不幸とされる出来事でも、人間関係でもなく、全て自分の内側から生み出される正しさが原因だったのです。

ザッとですが、私が学生時代で、どんな生き辛さを感じてきたのか、簡単にお伝えしてみたいと思います。

・友達が初めて陰口を言われている場面に遭遇して、怒りよりも先に「もっと上手く立ち回れば良いのに…」って思ってしまったこと。それから私は本音で人と話すことが、億劫になった。

→陰口を言われることは「悪い」

→陰口を言われないことは「良い」

というジャッジ。

・親とはオシャレやトレンド、進路といった話がまるで噛み合わず、「この人にはわかってもらえないんだよな」って、苦い思いが日に日に強くなった。

→理解してもらえないことは「悪い」

→理解してもらえることは「良い」

というジャッジ。

・家族の病気をきっかけに、「私は元気でいなければならない。家族に心配は掛けられない。不安にさせてはいけない。」って、思いを誰にも相談せず、抱え込んでいた。

→心配を掛ける私は「悪い」

→心配を掛けない私は「良い」

というジャッジ。

自分自身を苦しめる善悪の思い込みを手放す

冒頭にも申し上げましたが、「この世に決まりきった善悪はありません

戦争だって、桃太郎の鬼退治だって、ある人からすれば「英雄譚」であり、立場が変われば「極悪非道」な行為と言えます。

あるのは、自分の内側にある凝り固まった正しさです。

つまり、「この世の善悪は、自分自身が作り出している」と考えると、わかりやすいでしょうか。

この正しさのことを、潜在意識と呼びます。

長年の思い込みが、自分の中での「当たり前」と化して、信じて疑わない信条として、根付いています。

人によっては、私のようにネガティブな思い込みが、生き辛さとして根付き、本来の望む人生から逸れて歩み続けてしまう場合もあります。(←これが潜在意識の落とし穴です)

そもそも潜在意識は、私たちの生存本能として、危険だと判断したことを、自分から遠ざけてくれる役割を果たします。

先述した潜在意識の落とし穴、厄介なのは顕在意識で望んでいることよりも、無意識の領域で強く思い込んでいる信条を優先するので、時に「こんなにも望んでいるのに、どうして叶わないの!?」という状況も生み出します。

ですので、自分自身の中にある思い込みに気付き、固定観念(当たり前)をアップデートしていくことが、生き辛さを手放し、望む人生を歩む第一歩になることと思います。

その第一歩とは…

あるがままを受け入れること

ありきたりじゃーん?って思った方、鋭いですね。笑

ただ、そんな方にこそ、今一度考え直してみてほしいテーマです。

自分の感じたこと、目の前で起きる事象、他人の言動全てにおいて、「善悪の判断をせず、あるがまま受け入れる」

その視点を持つ為にはまず、自分自身に湧き上がる感情と、どう向き合うかが重要になります。

自分の中の心の声と抱いた感情に着目!【スキーマ療法】

私のこれまでの信条として、「感情とは、蓋をするもの・押し殺すもの・見て見ぬふりをするもの」という思いを抱いてきました。

もし良かったら、前回のコラムも合わせて読んで頂けると、私がどのように感情と向き合う様になったのか、変化を感じて頂けると思います。

【感情との向き合い方〜もう押し殺さなくていい〜】

https://kokotomo.com/483941

私は普段、介護業界で働いていますが、所謂「感情労働」といって肉体労働や頭脳労働と異なり、クライエントに対してコミュニケーションを通して、自分の感情を適切に表現することが求められます。

私は相手を安心させる為に、「自分の気持ちは、ありのまま伝えてはいけない」という思い込みを抱いてきました。

それは、親子関係において、お母さんを自分の言葉で傷つけ、悲しませてしまったという経験、つまり過去や他人といった「自分の外側にある変えられない事実に対する捉え方」が凝り固まっていたことによって、引き起こされていました。

お母さんに「貴方とだけは喧嘩したくない」と言われ、私は「思ったことを、ありのまま伝えたら人を傷つける。だから思ったことはそのまま口にしてはいけない」という考えに至った。

何気ない一言ですよ。

多分本人も覚えていません。

泣くほどショックだった一言…という訳ではありません。

それなのに、十数年が過ぎた今でも、確かに覚えているほど、私のこれまでの人生には欠かせないエピソードになっていたのです。

→お母さんの発言は「事実

事実はなかったことにはならない。

→私の捉え方は「解釈

捉え方は変化させることが出来る。

では一体、どう捉え方を変えるのか?

もしも今、上手くいかないことがあったり、グルグルと同じことを悩んでいる人がいらっしゃったら、是非この言葉を、自分に投げ掛けてみてください。

↓  ↓  ↓

今回のケースに置き換えると、

「思ったことを、ありのまま伝えたら人を傷つける。だから思ったことはそのまま口にしてはいけない」

↑と思った自分を受け入れる。

「私にはこんな思い込みがあるよね」と受け入れる。

そんな考え方もあるけど、本当はどうしたい?

(本当は)今の私は、ありのままの気持ちも言葉にして伝えたい!

「〇〇したい!」試しに、やってみよう♪(←気分はルンルン)

大切なのは、自分の言動に対して、不安よりもワクワクが湧き上がってきていること。

家族という1番近い他人や、仕事という顧客や評価や組織の方向性ばかりを優先して生きているうちに、「自分がどう感じているか、何をしたいのか」という視点が、すっぽり抜け落ちてしまうことがあります。

私は自分の外側ばかりに目を向けて、自分の感覚を押し殺してきた時期があり、「何をしたいかよりも、何をするべきか」ばかりで物事を判断していました。

そんな時に出会った下記に紹介する2冊の本が、長年の悩みを解決に導き、私の心をスっと軽くしてくれました。

1冊目、この世に善悪はない…「無を知る」ことで得られるギフトがあるということ。

自分の中にある思い込みって何だろう?って気になった方には、是非読んで頂きたいです。

2冊目「人を助けるひとは、なぜ自分を助けられないのか?」というサブタイトルに惹かれ、思わず手に取り一気に読みました。

つい自己犠牲しちゃうんだよな…本音が言えない…という方に、是非読んで頂きたいです。

今回伝えたかったテーマ

・この世に善悪はない!

・自分の中にある思い込みに気付き、手放す。

・あるがままを受け入れる。自分の気持ちを再確認した上で、改めてどうしたい?と自分に問いかける。

そうは言っても、自分自身の中にある思い込みって何か?1人で気付くことは、難しいかもしれません。

煮詰まったり、誰かと話してスッキリしたい!と思った方は、是非チャット相談でも、zoom相談でも構いませんので、お待ちしております^^

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

ココトモInstagramはじめました♪

このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)

Instagramはこちら

コメント一覧

まだコメントがありません。

コメントを投稿する

コメントを投稿するにはログインしてください。

keyboard_arrow_up