「否定されること」に対しての考え方。

こんばんは。
鷹れんっていいます。

ココトモでブログを書くのは初めてなので、ちょっとだけ緊張しています…。
今回私がここに書きたいのは、タイトルの通り、「否定されること」に対しての考え方です。

たぶん、否定されるのが大好きって人はいないんじゃないでしょうか。いますかね?

私は否定されることにとても弱く、決まって「でも」から始める人と話したりすると、とてもしんどかったりします。

そんな時に読んだ、一冊の本があります。

『ストーリー・セラー』という本です。

著者は有川浩さん。
sideAとsideBにわかれているんですが、そのうちの片方が物書きの女の人と読書大好きな男の人の話で、
今回この記事を書こうと思ったきっかけでもあります。

その「書く側」の女の人はとてもすばらしい小説を書きます。けれど、学生時代に所属していた文芸部でのとある経験で、それを世に発表しよう、なにかに投稿しようという思いは全くありませんでした。恐怖さえしていました。

そのとある経験というのが「強い否定」でした。
同時好きだった先輩にこれでもかと罵られ、否定され…。

そのことを「読む側」である男と人に話す場面で、男の人が言った言葉が、私の心に深く刺さりました。
正確には覚えていませんが(Σ
要約すると、

「読む側」としては、ひとつでもたくさんの本を読みたい。その中で自分の好みに合わない本も山ほどある。
でもそういうのはポイっと「自分には合わなかった」でスルーする。
だってそれに構うくらいならまだ見ぬ「自分に合う本」を探したいから。
だから、その「尊敬する先輩」は「強い否定」をした時点で「負け」なんだ。つまり、先輩としては自分自身は「書ける側」のつもりで、そこでその才能溢れる小説を読んだ。自分の「書ける側」の自信を粉々に打ち砕くほどに。
それが悔しくて、とにかく否定するしかなかった。
その溢れるほどの才能が出てきたら自分たちは太刀打ちできないってわかってるから。「もう二度と書かない」と思わせるくらい否定するしかなかった。

…というような内容でした。

それで、考えたのですが。
「否定される」ことを、あまり悲観的に捉えなくてもいいのかな、と。

「否定」という行為が、その人の悔しさ、惨めな感情から出てきてしまうものだとしたら。
むしろ「自分は、他人にそこまで考えさせてしまうほど出来るんじゃないか」と。
「そこまで他人を真剣にさせる考えなんだ」」と。
そういう風に考えられるんじゃないかなと思いました。

……んー、なんだか自分の思っていることが伝わらないような文面になってしまった気がします。
まぁそれは、初心者なので見逃してください^^;

私はもともと小説の中に「楽になるヒント」やら「いい考え方」を見つけるのが好きで、この記事に書いたこともその一つです。
なので、もしよければこれからも小説の紹介をしながらその中で得たヒントや考え方を書いていければなと思います。

それでは、これを読んでくれたあなたに感謝して♪
鷹れん

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2014.06.21

    鷹れん

    メミさん
    有川さんの本はどれもいいものばかりなのでオススメです!

    話を覚えていても小説のタイトル忘れていたりあやふやだったりするので、確認しながらゆっくりやっていこうと思います。
    楽しみにしてくださる方がいるとやり甲斐がありますね!
    ありがとうございます☆〜(ゝ。∂)

  2. schedule2014.06.21

    メミ

    なるほどなるほど(^o^) と思いました。私は『ストーリー・セラー』というか有川浩さんの本を読んだことがまだ無いのですが、読んでみたくなりました。他の小説やそこからのヒント、考え方がブログになるのも楽しみに待ってます。

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