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ただ話を聞いてほしい

過去のいじめ体験で現在感じている事。
visibility427 edit2025.04.27
殴られ、蹴られ、心を抉るような日々。来る日も来る日も恐怖にさらされ、次第に自分自身を責めるようになり、誰にも助けを求めることができませんでした。
助けを求めたくても、当時の担任であるロイヤーは、いじめの現場を見ていながらも見て見ぬふりを決め込み、何もなかったかのように振る舞っていました。
子どもだった私は、理不尽な暴力の中で、ただひたすら「自分が悪いのだ」と思い込み、生き延びるために心を麻痺させていくしかなかったのです。
あれから40年近くが経った今も、あの時の痛みと屈辱は、心の深い場所に巣くい続けています。
社会人になり、自分の人生を懸命に生きながらも、心の奥ではずっと、あの理不尽な暴力に囚われたままでした。
そして最近になってようやく、「悪いのは自分ではない。悪いのは、あの時私を傷つけ、踏みにじった加害者たちだ」という、当たり前のことに気づくことができたのです。
私は自分の言葉で、当時の記憶と怒りを綴り、同じように苦しみを抱える人たちに向けて、掲示板に投稿しました。
しかし、投稿には加害者の実名を書いてしまったため、名誉毀損容疑で警察が二度にわたり自宅を訪れ、神戸地検からは70万円もの罰金を科されることになりました。
いじめを受け、心に深い傷を負い、何十年も苦しみ続けた末に、社会からさらに罰を受ける。
一体、何が正義なのでしょうか。
なぜ加害者は、何の裁きを受けることもなく、のうのうと生き、
被害者だけが、声を上げた瞬間に罪に問われなければならないのでしょうか。
日本社会は、いじめを「なかったこと」にすることに長けています。
見て見ぬふりをした教師、責任を問われない加害者たち、表面だけを取り繕う校風。
そして、被害者が声を上げた時には、その被害者に対して厳しい処罰を下す。
この歪んだ構造の中で、本当に守られるべきだった子どもたちの尊厳は、いつも踏みにじられてきました。
私は今も、30年以上にわたりうつ病や対人恐怖に苦しみ続けています。
人生の多くの時間を、怯え、自己否定に苛まれながら生きてきました。
その原因を作った人間たちは、何の謝罪も反省もなく、社会の中で普通の顔をして暮らしている。
この理不尽を、どうして簡単に受け入れることができるでしょうか。
それでも、私は信じています。
痛みを言葉にすること、理不尽に対して声を上げることは、
たとえ今この瞬間に報われなかったとしても、
いずれ、誰かの心を救い、社会を少しずつ変える力になると。
私の声は小さなものかもしれません。
けれど、それでも私は、沈黙を強いられたあの時の自分に、
そして、今なお苦しんでいる誰かに向けて、真実を語り続けたいと思っています。
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