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50代 男性

過去のいじめ体験で現在感じている事。

visibility427 chat14 personまさゆき edit2025.04.27

1986年、神戸市立垂水中学校で、「北斗の拳ごっこ」と称し、同級生の河崎雅斗(仮名)から日常的に暴力を受けるようになりました。

殴られ、蹴られ、心を抉るような日々。来る日も来る日も恐怖にさらされ、次第に自分自身を責めるようになり、誰にも助けを求めることができませんでした。

助けを求めたくても、当時の担任であるロイヤーは、いじめの現場を見ていながらも見て見ぬふりを決め込み、何もなかったかのように振る舞っていました。

子どもだった私は、理不尽な暴力の中で、ただひたすら「自分が悪いのだ」と思い込み、生き延びるために心を麻痺させていくしかなかったのです。



あれから40年近くが経った今も、あの時の痛みと屈辱は、心の深い場所に巣くい続けています。

社会人になり、自分の人生を懸命に生きながらも、心の奥ではずっと、あの理不尽な暴力に囚われたままでした。

そして最近になってようやく、「悪いのは自分ではない。悪いのは、あの時私を傷つけ、踏みにじった加害者たちだ」という、当たり前のことに気づくことができたのです。



私は自分の言葉で、当時の記憶と怒りを綴り、同じように苦しみを抱える人たちに向けて、掲示板に投稿しました。

しかし、投稿には加害者の実名を書いてしまったため、名誉毀損容疑で警察が二度にわたり自宅を訪れ、神戸地検からは70万円もの罰金を科されることになりました。



いじめを受け、心に深い傷を負い、何十年も苦しみ続けた末に、社会からさらに罰を受ける。

一体、何が正義なのでしょうか。

なぜ加害者は、何の裁きを受けることもなく、のうのうと生き、

被害者だけが、声を上げた瞬間に罪に問われなければならないのでしょうか。



日本社会は、いじめを「なかったこと」にすることに長けています。

見て見ぬふりをした教師、責任を問われない加害者たち、表面だけを取り繕う校風。

そして、被害者が声を上げた時には、その被害者に対して厳しい処罰を下す。

この歪んだ構造の中で、本当に守られるべきだった子どもたちの尊厳は、いつも踏みにじられてきました。



私は今も、30年以上にわたりうつ病や対人恐怖に苦しみ続けています。

人生の多くの時間を、怯え、自己否定に苛まれながら生きてきました。

その原因を作った人間たちは、何の謝罪も反省もなく、社会の中で普通の顔をして暮らしている。

この理不尽を、どうして簡単に受け入れることができるでしょうか。



それでも、私は信じています。

痛みを言葉にすること、理不尽に対して声を上げることは、

たとえ今この瞬間に報われなかったとしても、

いずれ、誰かの心を救い、社会を少しずつ変える力になると。



私の声は小さなものかもしれません。

けれど、それでも私は、沈黙を強いられたあの時の自分に、

そして、今なお苦しんでいる誰かに向けて、真実を語り続けたいと思っています。
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  • refresh約3ヶ月前
    メンバー
    やす 40代 男性
    はじめまして、やすといいます。
    まさゆきさんの書き込み、自分の過去を顧みながら読んでいました。
    僕は中学〜高校においていじめを受けていました。
    その経験が影響し、18の時に精神的な限界が来て、結果、強迫性障害の診断を受け、後も鬱になったりして、自分の中のこいつらを抑え込んで今を生きています。

    気持ち、むちゃくちゃわかります。
    僕も、言わば復讐、報復、そういった願望は今も強く持っています。
    その経験から強くなった自分がいるのも事実ではあるので、皮肉を込めてぶっ潰してやりたいと未だ思います。
    今の自分の価値観の根底にあるのはあの頃の経験なんだろうと思うほどで、イコール傷の根深さを感じます。

    きっと、まさゆきさんはすごく真面目な方なんだろうなと思いつつ読ませていただきました。
    僕とまさゆきさんの違いは、そこなんだろう、と。

    僕はもっと汚く、自分に返り血がこない形で、だが正々堂々とやってやろうという思考でいます。
    回り回って相手に一矢がいくようにやってやりゃいいと。

    社会なんて理不尽なもの。
    正義なんて簡単に裏返るもの。
    この世は不平等なもの。
    まっすぐ真面目に叩こうとすれば自分が叩かれるだろう。
    なら、あの頃相手がやっていたように、まわりを欺いて、まわりが見て見ぬふりするくらいのやり方で、叩いてやればいい。
    卑怯結構。正しいや間違いは、俺が決める。
    そんな発想の人間です。

    でもね、本当は、まさゆきさんのように正々堂々戦いたい、まっすぐにやりたい。
    それを貫いているまさゆきさんを尊敬します。
    応援しますよ、同じような傷を持ち、戦う者として。


    長文、失礼しました。
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