てこの日記『春耕秋収 ー 序 ー』

魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀
(その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす) 魏志倭人伝の割注の一節である。

「倭人は暦をもたず、ただ肌で感じる季節の移り変わりを元に米作りをして年を数えている。」とはいえ春耕秋収を記して年記となすとあるので、ある種の農業暦を持っていたとも。いわゆる自然暦のひとつで、定期的な周期のものではないのだろう。

学術的な解釈はその筋に委ねるとして、暦に阿ることだけが正しいとも思えないのだ。季節が幾分早く巡り、盛夏の日中が酷暑となっても、そして冬が訪れ、それが暖冬となっても、少しづつ季節は巡ってくる。だとしたら字面だけの暦になんの意味があろうか。そのような暦で捉えるより、そうした感覚的なこと。実は大切なことではなのかと。

とはいえ、日々の暮らしの中にあって、すべての関わりを捨ててというわけにもいかないだろう。
時折、立ち止まって・・・。古からの理や風習。そして季節が移ろいを、自らの感覚として見つめ直してみたいと思うのだ。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

たまに、メンバーさんのお部屋に戯言のようなものを残しています。
雑談OKともありますが、場所柄真摯な相談が入るので、戯言ばかりもどうなのかと。
戯言ばかりで、メンバーさんのお部屋の品位を落としてもアレですし。
(といって、こちらの品位を落としてもアレか)。
という感じで、もともと日記などという習慣もないし、こちらのお若い方々のような、ナチュラルでみずみずしい感じのこともアリませんので、お目汚しに。

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