てこの日記『春耕秋収 ー 其の二 ー 二十三夜待ち』
visibility103 edit2023.11.07
夕刻少し早くの時間に出られればと思っていたのだが、打ち合わせが長引いて帰宅が遅くなった。
散歩で海まで出るとなると、少しだけ遠い。午前中に用がなければ問題ないが、さすがにいつも自由なわけでもない。となると帰宅があまり遅くては、差し支える。もちろん夜なので部屋でゆっくり過ごすという選択もある。けれどほんの少し特別な日でもあるので、外で過ごしてみたかったのだ。
夕餉の間、ずっと何処で過ごすか思案していた。
結局、いつもの場所に行こうと決したが、ちょうどよい時間に着くには、散歩の歩速では叶わないと悟っていたので、途中まで公共交通を使うことに。
何かすごく微妙な時。普段であれば、そこに着くまでの時間で、色々切り替わっていくのだ。距離もほどほどあるので、心地よい疲れをともなって、少し日常をはずれるような感覚。
夕刻からの散策であれば、その感覚と同期するようにトワイライトゾーンを歩くことになるし、翌日に所用がなければ、すっかり闇に落ちた中で、その感覚と付き合う。
その場所に着くには、まだ少し先なのだが、気持ちが整わないまま、そこに向かっていく。夢と言ったら大げさだが、そうった現実を離れ切り替わる時間を、通らずにそこに来てしまったので、少し現実を引きずる感覚。ただの散歩なのだが、時間の感覚がそういう世界に誘っているのだと思う。
そして、降り立ってから小一時間ほどして、いつもの河口の堤の上にたどり着いた、夕刻から出かけたのと、さして変らぬ時間に。普段の散歩であれば、少し長めの休みをとって、帰路に向かう。
今宵は、川面まで降りてみた。少し上流側では、川面を歩くのだが河口付近では、あまり川面まで降りない。
しばらく街明かりに照らし出された水面を追っていた。穏やかに流れていく。
空低くは、ほんのりとやはり街明かりが照らしていて、こればかりはいつも少し残念に思う。川面を照らす明かりも必要ないかななんて。
ぼんやりと川の近くに座り込んで、変らぬ風景を眺めていた。空は、すっきりとは晴れてはいない。
しかし雲間もあり、待てば期待には違わぬだろうと。
川面まで降りたので、若干堤側の街明かりは届かない。ほんの少し薄暗くなっている、そちらの空を仰ぐ。ずっと見つめていると、少しずつ眼も慣れてきて、いくつかの星が浮かぶのがわかる。時折、街明かりが眼に入ると、また少し慣れるまで少し間がある。星明り探すにも容易でないのが、本当に残念。
宵闇の中で、短い時間で変わる景色もなく、ただ穏やかな流れと、雲間に浮かぶささやかな星。それだけを、微風の中で繰り返し眺めてひたすら待った。
北側の空に、赤銅色の朧気な明かりが灯る。待ちわびた灯だ。
下の弓張 月あかり。
九月は、ことあるごとに月あかりに付き合ってみようかと。そしてこの日、九月二十三日。
この月を待ってみたのだ。
遅くに昇る、この月をじっと待つ。実際には特別感などないのだろう。
ただ月待ちをしたことが、おありだろうか。何気に見上げて輝いているのを見るのと、少しだけ違って見える。
多分に感覚的なものでしかないのだが・・・。
信仰心などないのだが、古の習わしにしたがって月の出を待てば、何か想いが通ずるのではとか。
ほんの少しだけ、気分が落ちていたので、気分転換にでも・・・と。
何かが、少しでも変わっていけばよいのかと。祈りなのか、想いなのか。しばらく、ゆっくりと昇る月を眺めた。
山家集 西行
弓張の 月にはづれて 見しかげの やさしかりしは いつか忘れむ
「月を詠ずれども実に月と思はず」
読んでくれた人へのメッセージ
暦通りなら今宵ですが(日付変わったけど)、日曜の夜の話。遅くに昇るので、帰路の途中で日が変わります。
月齢は正午月齢で示されるので、「下の弓張」で二十三夜としました。
古の信仰で「月待ち」というのがあり、中でも二十三夜は特別なものらしいのです。
遅くに上がる月を待つ、そして少しだけ日常を離れる。
様々な想い、何か届くのでしょうか。
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