ちーの日記『また会社で泣いてしまった。』

 ただちょっと「休職する前の自分ってどんな風にふるまってましたか❓」と聞くつもりだったんだ。
 だけど、管理部長と課長のデスクの間に立っただけで、涙がこぼれてきて、そのあとはもう、息切れがするくらい泣きじゃくってしまった。

 「前はよく笑ってたよ。僕に絵も見せてくれたじゃない」
 課長は言った。でも、私を笑わせてくれてた人たちは今、会社にいない。みんな。コロナ禍での依願退職だ。笑わせてくれた、お節介なおばさんも、お洒落なおじさんたちも、すっとぼけたおじさんも、会社を去って、残ったのは事務的に(事務だけど)仕事をこなす人たち。
 社屋も観光地周辺で外国人ばかりの、散歩気分でお使いに行けた場所から、一駅移動して味気ない住宅地だ。

 母と離れて暮らすことになったのも、コロナへの感染を防ぐためだ。好きで一人暮らし始めたんじゃない。子供部屋おばさんでいたかった。母の生姜焼きはもう食べられない。NPO法人の人に手を借りて、面会を願い出たけど施設の人は面会させてくれなかった。「高齢者がコロナに感染すると」と。コロナさえなければ、せめて父の時のように最期まで一緒にいられたかもしれないのに。罪悪感をコロナのせいにしてるのかもしれない。でも、させて。

 母が亡くなった時葬儀会社の人は「もっと悲惨な方いらっしゃいますよ。コロナでご遺体と会えなくてご遺骨での対面とか」と言ってた。
 いや、誰かと比べないで。私は私で、苦しいんだ。

 あの時期の重苦しさを脱ぎ去りたくてあの時期を忘れようとしてるのか、今のニュースでコロナの話題に触れることは極めて少ない。ほんの一年前5類に移行したばかりなのに。先日の選挙のニュースで久々に小池都知事をTVで見た。あの頃毎日見た顔。

 横のつながりがなくなったなと感じた。就労支援施設で行われていた月1回の卒業生の集会もコロナで中断したまま。ホッとできるいい機会だったのに。

 真っ正面から向き合おうと、Wikipediaでコロナ禍の日本について調べた。いろんな人の嘆きが詰まっているようだった。人生を大きく変えられた人が沢山いる。もちろんうまく立ち回って儲けた人もいる。ネット通販の普及とかマスク特需とか電子決済とか。うちの会社は商業施設の休業でピンチに陥った。店舗従業員はいるけど店が出せなかったのだ。で、あらゆるネット通販サイトに出店した。私の仕事から『免税処理』が消えて、代わりに『通販の売掛金処理』が加わった。

 そんな中、推していたV6が解散した。解散コンサートはマスクとフェイスシールド着用で、歓声禁止だった。最終公演はチケットが取れず配信。

 いろんな事が変化して、その変化についていけてない私。
 『あの頃あったものが今はない』
 私を笑わせてたものが、今はない。

 うまく生きられない訳だよ。GWで明るく遊んでる人たちは忘れたんじゃなくて振り切りたいのか❓ あの時代を。

 なくしたものが、変わったものが、私を置いていく。
 「コロナさえなければなぁ」
 呟くと、涙が落ちる。
 なんだったんだろうあの日々は。マスク、手指消毒、パーテーション、三密、ソーシャルディスタンス、非常事態宣言、職域接種、副反応。ほんの数年で死語になった言葉たち。殺されて封印されたような感すらする。

 でも友は「親が高齢だから」と今もマスクを欠かさない。店に今も残る除菌アイテムや色とりどりの使い捨てマスク。

 ついていけないんだよ。置いていかないでよ。
 迷子みたいに泣きじゃくった。

star今日できたこと♪

身体がずしんと重かったけど、ベッドから這い出て、まだ雨が降ってないので、段ボールをまとめて捨てに行った。服も用意してなかったから、一から選んだ。今日は涼しくなってくれるらしいから長袖を腕まくり。なんだかんだ生きてる。見守ってくれる人はまだいる。減ったけど。大事にしよう。もうこれ以上失わないように。それができる今の自分だ。きっと。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

お読みくださり有難うございます。「悲しい事は一瞬で人を飲み込み選ばせてはくれません」鬼滅の最終話の言葉。私、それだったんだと思う。どうしようもなかったんだ。後悔はしない。でも忘れない。悲しみとはちゃんと向き合う。そうやって生きていきたいです。泣き顔不細工でも。一日が、過去が重くても。ごめんなさい。良かったら見守ってください。

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