他人と比べて苦しんでる人に読んでほしい『キャロリング』
visibility1,792 edit2015.02.08
みなさま、こんにちは。
自由登校なので、一日中こたつでぬくぬくしてます、鷹れんです。
学校では一年生の春からずーっと頑張りっぱなしだったから、わずかな休暇を楽しんでいます。
エネルギーためて、変化の多いであろう四月を楽しまねば!!
さてさて、
今日は、私が大好きな作家・有川浩さんの本のお話です。
『キャロリング』を読んで、心に刺さったふたつの言葉。
まず、『キャロリング』についてざっと説明しますと、
クリスマス倒産がきまった会社。心優しいヤクザのおにーさんたち。崩壊寸前の家族。
これらが絡み合って、クリスマスへの奇跡の物語を紡いでいく…そんなお話です。
この本の中で、私が感動した言葉がふたつあるので、それを紹介させてくたさい。
持っている辞書が違う
これは、本書の主人公・大和俊介の言葉です。
彼は、あることから家族と疎遠状態になっていました。
当時、恋人関係であった柊子との間で結婚の話があがったとき、当然ながら、両親への挨拶のこともでてきました。
ですが「親を割愛したい」と、彼は言ったのです。
人の言葉というのは、
家庭環境や、実際に接する人々、まわりの影響を強く受けます。
親を割愛したい。
幸せな環境で育ってきた柊子には、それがどういう意味なのか、理解できませんでした。
これが「辞書が違う」ということなんです。
柊子のもつ「辞書」には、両親を割愛する、という言葉は存在しなかった・・・
でも、彼女の辞書には書かれていない、悲しく、つらい言葉の数々は、俊介の辞書にはつよく刻み込まれていたんです。
柊子はもっともっと大人になってから、俊介の「辞書が違う」という言葉の真意を理解します。
自分の辞書の外にある言葉の存在に気づいたのです。
私自身、ココトモで活動をするようになってから、
「自分のつかう言葉が変わったなぁ」
と感じることがあります。
同じ意味合いでも、
より相手を想う言葉にしよう、
より自分の想いが伝わる言葉にしようと、考えるようになりました。
つまりこれは、ココトモと出会ったことによって、私の中の辞書が分厚くなった、ということだと思うんです。
もちろん今私がもっている辞書に刻まれていない言葉は数え切れないほどあるでしょう。
でも、大切なのは、すべての言葉を辞書におさめようとすることではなく、
「自分の辞書にない言葉が存在するということ」を、きちんと認識することだと思っています。
きっと、みんながみんな持ってる辞書が同じだったら、誰も傷つけないのかもしれません。
でも、辞書が違うからこそ、相手の言葉に心を突き動かされたりするのではないでしょうか。
・・・そんな風に、深く考えさせられた『キャロリング』。本書の中でも特別忘れられないセリフが、次に紹介する言葉です。
不幸の比べっこなんかしても仕方ないでしょ
俊介・柊子らが勤める会社の社長・英代の言葉です。
長々と書いておいてなんですが、実はこっちがメインです。
英世と俊介は親子のような関係で、
英世の夫も、俊介を我が子のように愛していました。
そして俊介も、親のように二人を大切に想っていました。
しかし、英世の夫は、脳溢血によって亡くなります。
そんなとき、俊介は、
不公平だ。
うちの親のほうがおばさんたちより不幸になるべきだ。
と心の叫びをあげました。
それに対して英世が、
「不幸の比べっこなんかしても仕方ないでしょ」
と言ったのです。
私は正直、俊介にすごく共感していました。
俊介の両親は、ろくでもない親でした。
家庭内暴力をする父と、それに対抗した俊介を非難した母。
英世さんやその夫の方が何倍も何百倍もいい人なのに、そんな人たちが苦しんで、俊介にこんなつらい想いをさせている親たちはなんでのうのうと生きているんだ、と。
英世の言葉は、
私にとっても、俊介にとっても、
人生のターニングポイントとでも思えるようなものでした。
「他人との不幸の比べっこ」について、考えてみる。
人はよく、自分と他人を比べます。
いったい何故、自分と他人の「不幸」を比べるのでしょう?
相手より不幸である自分を、慰めてほしいからでしょうか。
自分は、こんなにも不幸なんだ。世界一不幸なんだ。
だから抱きしめて。優しくして。
それとも、
相手よりは不幸でない自分を、安心させたいからでしょうか。
あなたはかわいそうなのね。
そう慰めることで、自分の中を満たしたいのでしょうか。
たしかに、人と比べることで得られるものもあるかもしれません。
でも、
それはとても悲しいことなのではないか。
そんな風に感じるのです。
人と比べるのではなく、
自分の悲しみを、不幸を、つらさを、そのものとして認識してあげる。
それって、すごく大切なことなんじゃないかな、と思うのです。
極端に言えば、
一日の食事もまともに取れない人が、世界にはたくさんいるでしょう。
その人たちに比べれば、幸せなのかもしれません。
でも、毎日食事をとれているけど、美味しいね、と言い合える家族がいない。
家族はいるけど、家庭は崩壊寸前。
家庭は円満だけど、学校はつらい。
学校も幸せだけど、夢がない。未来を感じれない。
夢はあるけど、その前にどうしようもない経済状況がある。
なにに幸せを感じ、なにに不幸を感じるか。
当たり前なことですが、それは人それぞれです。
私は、まわりから見れば幸せな環境で育ったのだと思います。
黙っててもご飯が出てきて、あったかい布団があって、学校に通えて。
でも。
つらいときにつらいと言えない。家族に、助けて、と言えない。
学校でも家でも、素直に泣けない。常に強くいなければならない。
それは、私にとってはつらい、不幸な生活でした。
私は今まで、人と比べて幸せだからと、自分の不幸にふたをしてきました。
こんなことを不幸だと感じる自分は弱いんだ。
そんな風に考えてきました。
そんな私ですが、今では、人と比べることもありつつ、自分を自分なりに愛するようになりました。
最後に、今、人と比べて苦しんでいる人に向けて、
すこしだけメッセージを書いて、終わりにしようと思います。
人と比べる。
それは、時には、ある程度しかたのないことなのかもしれません。
でも、自分の人生は一度きりで、
自分が不幸だと感じれば不幸だし、幸せだと感じれば幸せなんです。
前述した「辞書」と同じように、
同じことが起ころうと、その人のもつ言葉によって違うように、
自分の生き方によって、どう感じるかは全然違ってくると思うんです。
不幸。幸せ。嬉しい。かなしい。つらい。楽しい。
私とあなたが比べて、どちらが幸せか、どちらが不幸か、なんて本当は関係ないんです。
だって私は私なりに幸せで、不幸なんですから。
きっとあなたも、あなたなりに不幸で、幸せなはず。
人と比べてああだこうだとか言う前に、
自分を自分としてちゃんと感じて、受け止めてあげてほしい。
その人生を生きているのはあなた自身なんだから。
今の時代、学校で、会社で、(たまに家庭で)
イヤでも比べられるんだから、
自分の心くらい、自分の気持ちくらい、
まわりに関係なく、自分の尺度で、感じてほしいんです。
なんてイッチョマエに語る私ですが、まだまだ人と比べてばかりです。
「まわりに比べて全然ブログまとまらねぇぜ・・・」とか。汗
でも、私には私なりの言葉しか紡げませんし、
これからも、私なりに、精進いたします^^
キャロリング、ぜひ読んでみてほしいです☆
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