私はどうしてカウンセラーになりたかったのか?~対人援助職のジレンマ~

「カウンセラーになりたい…」

初めてそう思ったのは、大学進学するか悩んでいた時期でした。

人の感情や考え方を分析したり、どんな振る舞いをしたら、人にどう映るのか気になる様になったのが、小学生時代。

当時は、自分の振る舞いを、漫画の登場人物に投影したり、「あのキャラクターだったら、こんな振る舞いをするのでは?」と真似をしたりしていました。

…ちょっと早めの中二病だったかな(笑)

一方で、友達が陰口を言われている場面を目の当たりにした際に、自己防衛の意識が過敏になり、自分は陰口を言われない様にと、小学校高学年からは当たり障りのない言動ばかり意識していました。

お母さんの何気ない一言に、私の心は折れました(笑)

母「貴方の言っていることは、難しくて理解できない」

私「あっ…この人に相談しても仕方ない。自分で解決しなきゃ」

親に自分の気持ちを理解してもらえず、諦めの感情を抱きました。

母とは意見の食い違いが原因で、よく衝突していました。

褒めてもらえることはあっても、理解や共感を示してもらう機会は、あまりなかった様に感じます。

私は「わかってほしい」の一心で、半ばイライラしながら、自分の主張を母に伝えてみた時、ついに極めつけの一言をもらいました。

多分、本人は覚えていない程、何気ない一言だったと思います。

わかってもらおうとするコミュニケーションを諦め、自分の気持ちは自分で整理するしかないと、インターネットや本を駆使して、感情の仕組みを学び、心理系のコラムを読み漁りました。

お陰で自立は促されたと思います。その点においては、感謝です。

でも本当に欲しかった言葉は、『すごいね』じゃなくて、『わかるよ』だったんだと思います。

1番近い存在の母に、私は理解を示してもらえなかったことが、本当は悲しかったのです。

1番近い存在に、わかってもらえなかった感覚が残り、その他の人間関係においても、自分の素直な気持ちを伝えることにブレーキがかかり、余計に当たり障りのない会話ばかりする様になっていった気がします。

お父さんの病気をきっかけに、医療の道も志しました。

高校3年生の大学受験を控えた時期、放課後に学校で勉強していた時のこと。

母から電話がかかってきて「お父さん、病院に運ばれた。生死の境を彷徨っているみたい」と告げられ、突然の状況に頭がついていきませんでした。

“敗血症”で急変して入院となった父。

一命は取り留めましたが、そこからみるみる体は弱っていきました。

医療の知識を身に付ける為に看護師を目指すか、MSW(医療ソーシャルワーカー)を目指すかと悩みましたが、私にとっては、どうにも病院で働くことに苦手意識が芽生え、その道は断念しました。

大学院まで卒業は無理…そうだ、介護の道に進もう。

将来なりたい職業について考えていた高校生時代、心理学を学べる大学に行ってみたいと思う様になりました。

母の影響で、働くのであれば資格を取得しておいた方が良いと思い、心理職の資格について調べましたが、国家資格をとるならば、大学院まで進学しなければいけないという現実を知り、当時の私には重くのしかかりました。

学費を捻出する苦労や、試験に失敗する可能性ばかり考えてしまい、私は前に進めませんでした。

そして、やらない理由ばかりを並べ、「もっと世の中にありふれていて、今の日本に必要とされている仕事って何だろう?」と考え、辿り着いたのが“介護”でした。

超高齢社会に突入し、業界は人手不足で引く手あまた、ニーズがなくなることのない仕事だと思い、私は進路の舵を切りました。

本当は…対人援助を通して、救われたかったのは“私の心”だった。

「これからの社会に欠かせない仕事へ就いて、家族を安心させるんだ…」

「内定がもらえなくて、ギリギリまで選考を受け続ける就活はしたくない…」

「日本中どこにでも施設はあるから、転職もしやすいだろう…」

安全・安心・安牌を理由に、大学生の私は進路を選択しました。

それでも選択したからには、半端な気持ちで働くつもりはなく、実家で同居していた祖母への敬意が私の根底にあり、人生の晩年が認知症や加齢によって、孤独になることのない社会にしたいと強く思う様になりました。

資格をとって、残業も厭わない精神で、今日まで従事してきました。

真心を持って向き合ってきたと思います。

向き合ったからこそ、今度こそ本当に目指したかった自分像と向き合う時が来たのだと思います。

従事してきた中で、カウンセラーも含め対人援助職は、

「自分は相談に乗る側なんだから、常に毅然とした態度でいなきゃ…」

「相手は私の何倍も大変な状況なんだから、私の苦労なんかしょぼいもんだ…」

「Noなんて言っちゃいけない。相手の要望に全て応えないと…」

その道のプロとして、一方的な関係でなければいけないと、心のどこかで思っていました。

でも、その思い込みは様々な形で私に疑問を生む機会を与え、本当はそうではなかったのだと、今になって漸く気付きました。

「私にも救われたい気持ちがあった。だから相手の気持ちも救いたいんだ」

「私自身、周囲の力を借りてきた。だから私も力を貸したいと思うんだ」

一見「与える側」でも、「受け取ること」だって、たくさんありました。

カウンセラーになりたいと思った私の心は、過去の悲しみから救われたかった

仕事に対するジレンマは、本音を許しきれていない自分が原因でした。

やっと、スッキリした。

私は私のなりたい自分像を追求して良いんだと、漸く思えた気がします…。

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コメント一覧

全3件
  1. schedule2025.05.13

    うさこ

    私のコメントにお返事くださり、ありがとうございます

    尚美さんは謙虚にご自身を見つめていらして尊敬しちゃいます✨
    そしてこうして他の人の意見にも、耳を傾けて考える姿勢は、私などなかなかできずにいるので見習いたいと思います。

    ついなんか理屈くさく、それこそ上から目線になってきてる気が…。年とってオバサン化してるかもしれませんww
    あと尚美さんには、なんとなく話しやすいウェルカムな雰囲気を感じてお話ししたかったのかな~(-ω- ?)お話しできて感謝です!

  2. schedule2025.05.12

    尚美

    うさこさん!
    コメント、ありがとうございました

    私はネガティブな動機じゃダメ、
    ポジティブな動機で仕事は選ばないと!

    頑なに、そう思って生きてきました(笑)

    だから、ネガティブな自分を許せなくて
    自分に対して、スパルタな声掛けをして
    本音に耳を傾けようともしませんでした。

    援助する側、される側、以前の問題で
    自分にどんな関わりをしているのか?
    本当はどんな関わりをしていきたいか?

    相手に対しても、自分に対しても、
    これからは、もっと真摯に関わります❤️

  3. schedule2025.05.11

    うさこ

    尚美さんのように、ご自身の悲しかった経験から誰かの力になろうとカウンセラーや介護職に従事される方は増えていると思います。
    私は、対人援助のお仕事というのはマニュアルばかりに頼るより、人と人との意志疎通が大切だと感じています。だから、経験した事により、相手の悲しみや不安に寄り添ってあげたりできるのはすてきではないでしょうか。
    人の心に寄り添う事は意外と難しいです。尚美さんのお母様が尚美さんの気持ちをわかってくれなかったというように、私の母も私の気持ちがよくわからないと言っていて、悲しかった…。
    自分で感じた事のない気持ちは理解できないから、ただああしたら、こうしたらと見当ちがいのアドバイス。
    専門家の先生だってそういう人が多い気がします。
    上から目線でなく、共感して接してくれる存在はその人にとって本当に必要です。
    援助する側、される側相互に信頼関係も生まれたりなどあると、援助する側にも達成感や学びにつながっていくとすばらしいですよね!
    尚美さんのような心広き人が良きサポーターとして従事されている事は、弱き人にとって大きな力!応援しております

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