本当の自分、言えない本音
visibility1,151 edit2016.03.01
「あなたが大好き!」
この言葉に少し前までの私は、疑問を感じていました。
「あなた」って誰なんだろうって、本気で考えていました。今目の前にいる私には違いないんだけど、何だか違和感があって、そのもやもやを拭えなかったのです。
本当の自分は裏の顔?
私は最近、よく「大人っぽい」とか、「落ち着いている」と言われます。たしかに昔から精神年齢は高いとは言われてきたけど、見た目が子どもだし、なにしろ末っ子の甘えん坊はもう根付いてしまっているし…。
もちろん、大人っぽく見られるのは嬉しいことだし、それだけ成長したということなんだろうなと前向きに捉えることは出来るけど、一度与えられた違和感がどうしても抜けないのです。
「優しいね」「お母さんみたい」もちろん嬉しいけれど、言われるたびに負の感情がめばえることも少なくない。理想的はあるけれど、なんだか仮面をつけたいい人な私が一人歩きしているような気がして、たまに怖くなります。私はそんなに大層な人間じゃないんだよ!と叫ぶみたいに、素直に受け止めることができなくなってきているように感じています。
Twitterは人を操れる手段なのか
SNSが普及し、その中でもTwitterは匿名性が強く、言葉だけのやりとりで、人と仲良くなることができます。私はその「言葉」のやりとりや交流が好きで、Twitterを利用することが多いです。
FacebookやLINEとは違う良さは、本当に多くの人とつながれて、言葉の交換ができることです。
でも、そこで「本当の自分」が出せるかどうかは別問題だといえるでしょう。
言葉は、とても心強いもので、とても美しいもの。
私はそう考えていますが、「言葉」は簡単に偽れてしまうものでもあります。社交辞令や、詐欺などもそういった類のもので、自分自身はあまり好きではないのですが、私が言葉を偽っているかどうかなんてことは、受け手がどう思うかにかかっているもの。
「本当のことだよ」「心からあなたをおもっているよ」
そういった言葉をいくら重ねても、信じてもらえなければ嘘になるし、偽りになるものです。
私はなるべく素直でいることを心掛けていたつもりでも、
Twitterや実生活でも、いつのまにか自分自身で「葉音」像を作り上げていたのかもしれない、と思いました。
すべてを含めて「自分」という人間が生まれる
じゃあ、何が本当の自分で何が本当の自分じゃないのか、私はすごく悩みました。
でも、その中で、答えを難しく考えすぎていたことに気づきました。
それは、全部ひっくるめて本当の自分だということです。
ほら、答えはいたってシンプルでしょ?
「自分のことをわかってほしい」
「本当の自分を知ってほしい」
「本当の自分はこんなんじゃない」
確かに、その気持ちも本音で、自分で考えている「本当の自分」なんだと思います。
でも、嘘をつこうと思って言葉を発したのではない限り、相手側が受けた印象もまた、「本当の自分」なんです。
自分と他者がいて、初めて自分は形成され、「本当の自分」が作られる。つまり、自分と他者どちらとも向き合い、過ごすことで、自分は作られていくということなんだと思います。
私も長年、「自分とは何か」ですごく悩みました。本当の私を知らないくせに、自分のことをわかったように言わないでと、相手からの言葉を受け入れなかったこともあります。
でも、「しっかりしていて大人な葉音さん」も「騒がしくて心が弱い葉音さん」も、「何かにむかついてブラックな思考をもっている葉音さん」も全部ひっくるめて、私なんだと思うと、なんだか心が楽になりました。
もう悩む必要はないんだ。自分はこれでいいんだって。
答えがシンプルになると、気持ちがすごく楽になります。
今、見てくださっているあなたも、自分と他者からの評価で悩んでいるかもしれない。
でも、どちらもあなたの要素で、あなた自身なんだよ。
もう、自分を責めなくていいんだよ、って私はあなたを抱きしめてあげたい。
きれいごとかもしれないけど、それが本音であり、「葉音さん」の一部なんです。
「本当の自分」「自分の本音」に迷ったら、このブログを思い出してほしいです。それで気持ちが少しでも楽になったらいいなあ。
葉音
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