「自己肯定感が低い」という悩み

自己紹介

みなさまはじめまして。「わしゅー」と申します。昨年12月下旬から、こちらで相談員を始めました。

ご相談にいらっしゃる方々は、深刻な悩みを抱えていらっしゃることもありますので、気が引き締まりますが、もともと、悩み相談を受けたりすることは好きだったので、楽しさも感じているところです。多くの皆様のお役に立てるよう、対応させていただきたいと思っております。

ブログはあまり書けないかもしれませんが、ご相談の中で出てくるキーワードなどを取りあげていきたいと思っております。今後とも、よろしくお願いいたします。

「自己肯定感」

「私は自己肯定感が低い」「自己肯定感を高めるには」

自己肯定感という言葉を、最近良く聞くようになりました。Google Trendsによると、2012年ごろから徐々に一般化した言葉のようです。

Google Trends – 自己肯定感

自己肯定感とは何なのか。Google Scholarで検索してみますと、トップに表示される、田島らによる東京学芸大学紀要↓↓では、

田島, 賢侍,奥住, and 秀之. “子どもの自尊感情・自己肯定感等についての定義及び尺度に関する文献検討: 肢体不自由児を対象とした予備的調査も含めて.” (2013).

自己肯定感とは「ありのままの自分を受け止め,自己の否定的な側面もふくめて,自分が自分であっても大丈夫という感覚である」

と定義されているとのことです。

自己の否定的な面を受けいれられる??

そうすると、自己肯定感が低い人は、ありのままの自分を受け止められておらず、自己肯定感を高めるためには、ありのままの自分を受け止めればいい、ということになります。

しかし、私などは、この自己肯定感の定義を読んで、「そんな簡単じゃないだろ!」などと思うわけですね。それはなぜかというと、

自己の否定的な面もふくめて受けいれる

ってことだからです。

これは、特に真面目な人には非常に難しい注文です。私自身の経験からも、そう思います。だって否定的な面、つまり、「駄目なもの」を受けいれるんですよ。そんな不真面目なこと、しちゃ駄目に決まっているでしょう?

極端な例を上げてみましょう。目の前に、自分の家に押し入った泥棒がいるとします。そこで、「泥棒さんにも事情があったね、許してあげるよ、あなたを受けいれるよ」などと、普通の人は言えないはずです。

自分を許さないことのほうがイージー

というわけで、自己の否定的な面というのは、受けいれない、言葉を変えると「許さない」ほうがイージーな選択です。

さきほど、泥棒の例を出しました。この泥棒は逃げてしまって、捕まえることができないとしましょう。そのとき、「あんな悪いやつは、絶対許さない!」と恨みつづけるほうが、その泥棒を許すよりも、精神的には遥かに簡単です。自分の否定的な面というのも、同じなんですね。

しかし、「絶対許さない!」ポジションをとりつづけても、自分の否定的な面が変化していくわけではありません。だから、イージーモードにいつづけても、いつまでも自己肯定感は高まっていかないことになります。

どこかでイージーモードを捨てて、「自己の否定的な面を許す」という、いうなればハードモードに入っていく必要がある。どうすればいいでしょうか。

許すということ

自分の否定的な面を許す(もしくは赦す)ということについて、キリスト教という宗教の考え方が、参考になります。

キリスト教には「原罪」、すなわち「人間は生まれながらにして罪をもっている」という、特徴的な思想があります。この原罪は、人間が自分で、自分の力で、赦すことはできない、ただ神様だけが赦すことができる、というのがキリスト教の考え方になります。

つまり、「そんな悪いものを許すことは、人間にはそもそもできない」と、始めから諦めてしまって、他のもの(キリスト教の場合は神様)を頼るわけです。

ちょっと脇道に逸れますが、『じゃあ神様に許してもらうために、人間は何をすればよいのか?』という質問に対して、「それはもちろん、教会に寄付をしたりして、善い行いをすることだ」と言った中世キリスト教会に対し、「違う!神様を信じるだけでよいのだ」と猛然と反論したのが、宗教改革で有名なマルティン=ルターという人です。

Wikipedia – 信仰義認

しかしいずれにしても、自己肯定感を高めたい人が、自分の悪い面を許してもらうために、教会に寄付をしたり、神様を信じたりするか、というと、一般的な日本人にとっては、それなりにハードルの高いことに思えます。他の方法はないのでしょうか。

友達との「ゆるい」関係から許しを得ていく

ここでようやくココトモの話につながりますが、ココトモは「友達として相談にのる」というコンセプトで運営されています。

自己肯定感を高めるためには、自分の否定的な面を許していく必要があるわけですが、これを「友達関係のなかで、ゆる~い感じで、許してもらっていく」というのは、私などは、けっこう現実的な方法じゃないかなぁ、と思うわけですね。

「てへぺろ」

こんな言葉が10年前くらいに流行りました(おじさんでごめんなさい)。こういう軽いノリで、自分のよくない面を、「ごめん!でも許して!」的な感じで許してもらえる、薄い関係を、広くつくっていく、というのが、いい感じになる方法かな、と思うわけですね。

ココトモは、その一翼を担える場だと思います。みなさんも、小さなことでも、相談してください。

 

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コメント一覧

全1件
  1. schedule2022.12.19

    000000059447

    ブログ、とても面白いです。ココトモにコメントすること自体初めてです。よろしくお願いします。

    そもそも自己肯定感をどうのこうのするという時点で色々言われすぎてもうやだな、という所に来ています。
    自己肯定感が高い人はそもそも稀なんじゃないかと思ったり、どの程度のラインで「高い」「低い」とするのかとか色々曖昧で、何とでも言えるような気がすることもあります。

    自己肯定感を高めようと躍起になったり、それが出来なければ先が無いみたいにだけは思いたくないです。「パラサイトシングル」「毒親」同様私たちの不安を上手く捉える流行り言葉のように感じるのです。その言葉によって、余計な葛藤を背負わされている様な気がするのです。

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