帰国子女なりの体験《外国編》②

こんにちは!

開いていただきありがとうございます。

このブログは【帰国子女なりの経験《外国編》①】の続きです。

良ければ、そちらも読んで頂けると嬉しいです☺️

 

小学生

中国語は同級生と話せる程になり、周りから見たら完全に中国人と変わらない程馴染んでいました。

そして、幼稚園を卒業し、小学校も現地の小学校に入学しました。前にお話しした姉妹も同じ小学校に入学しました。その姉妹も少しですが中国語が話せるようになり馴染んでいました。

いつ来たのか覚えていませんが、ある日日本人の兄弟が来たり、そのまたの日に三兄姉妹が来たりと次々と日本人が中国に引っ越し、私が帰国するまでに合計13組の日本人家族が来ました。(パッと数えた限りそれぐらいなのでもっと多いかもしれません😓)

後に親が教えてくれたのですが、純日本人が中国に引っ越す自体がごく少数でましてや三才からいくなんているかいないかレベルでしかも現地の学校に行って特に問題がなかったのでどんどん来たそうです。

私自身そんな自覚ありませんが、行ける勇気になれたならまあいいかなという感じです🤣

私の中でこの時代が一番楽しかったです。

皆住んでいるマンションが一緒だったり、歩いてすぐのマンションにいたりするので学校が終わったら毎日みんなでサッカーしたり、鬼ごっこしたり、ご飯も時々みんなで集まって食べたりして本当に楽しかったです。

それに、同い年だったり、一個年上だったりでそう年が離れていないので共通の好きなものも多かったです。その話題で盛り上がったりで幸せでした。

しかし、全てが楽しかった思い出ではなく、辛いこともありました。

変化②

中国には1937年7月7日 日中戦争で日本に勝利した日とされ、祝う日があります。

幼稚園の頃は、そのようなことを言われてもポカンでしたし、みんなもポカンでした。なので、その頃は何もなかったです。

ですが、小学校に上がり少しずつ歴史を勉強していくとちょくちょく日本人に酷い虐殺を受けたという話や戦争で日本人に酷いことされたなどの過去の中国側の観点からの歴史問題の勉強をしました。その度に負け犬などと言われ、7月7日には、色々な人に結構酷い言葉を言われました。

それがショックで何も言えませんでした。

時々言われていましたが、気にするほどではなかったので流していました。

なので、その日も言われると思わなくて本当に思考停止していました。

そんな場面をみた数人のクラスメイトが

(ナマケモノ)ちゃんには、関係ないでしょ!なにもしてないじゃない!

とかばってくれました。

本当に2,3人でした。

ですが、私にとってそれが嬉しくて救いでした。

それを聞いたのか帰り際、先生に

「過去は変えられないけど、あなたは何もやっていない。気にすることないわ。」

と言ってくれました。

嬉しかったです。まさか先生も言ってくれるなんて😭

帰国まで

その後の学校生活は充実しており、日本人の友達とも仲良く遊んでいました。

帰国する前の最後の学校では、私のこと差別をしていた子が謝りにきてぬいぐるみをくれました。

びっくりしつつも、嬉しかったです😊💕

今でも大事に取ってあります。

そして、10歳の時、帰国しました。

気付き

確かに、過去の深く傷ついた歴史問題はそう簡単には消えません。

ですが、それで傷つけていい理由にはならない。

この経験で私は、誰かを傷つける行為、言葉はしない。

少なくても、私には味方がいる。

その人たちを大切にしたいと思いました。

今でも私に仲良くしてくれる人、親切にしてくれる人に私なりに感謝を伝えたり、大切にしています。

あの経験がなかったらこんなこと思ってないかもしれません🤣


 

これで外国編は終わります。

最後まで読んでいただきありがとうございます🙌💕

 

では、次の時に🦥

 

 

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