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良い行いとは?

閲覧数777 コメント数2 personエビチリ edit2022.04.08

最近「君たちはどう生きるか。」を読みました。
そこで立派な人間とは何かについて考えることになりましたが、まあそんな分かるもんじゃないですね笑
じゃあそもそも良い行いってなんだ?となりまして、そこで思い出したのがHIKAKINさんです。あまり動画は拝見していないのですが、「やらない善よりやる偽善」という言葉は素晴らしいなと。
しかし、じゃあ善と偽善とは何が違うのか?という話になります。
もちろん、そこには目的の違いがあります。自分のためか、人のためか。「君たちはどう生きるか」はその人のための行為を立派な行いとしています。
ここで自分が思ったのは、善も突き詰めれば偽善と変わらないのではないか?ということです。
例えば、好きな人に何かをプレゼントしたとします。単に彼または彼女に喜んでもらいたいから、と言うのが理由に出てくるでしょうが、その根幹には自分が相手の喜ぶ姿を見たいから、という自分中心の考え方もあるのではないか、ということです。
なんか批判しているみたいになっちゃいましたが笑、別にそれは良いんです。誰にも迷惑かけてませんし、自分も相手も幸せになる。偽善だろうがそれは良い行いでしょう。
じゃあ偽善という批判は的外れ、ということになるんでしょうか?
話が逸れましたが、つまり自分が聞きたいのは、善偽善と良い行いというのは、どういう行為なのでしょうか?自分は前にも書いたように他者に迷惑をかけず、幸せを増やす行為だと思います。しかしまだ高校生なものでなかなか広い考えが持てないので、お考えをお聞かせ願えればと思います。
長文失礼しましたm(*_ _)m
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コメント一覧

  • refresh約2年前
    MC21 50代 男性
    エビチリさん、こんにちは。
    たくさん勉強されているのですね。
    勉強すればするほど悩みますね。

    良い行いや偽善についてですが、
    何でも良いので行動してみて体験から感じるのは大事ですよ。
    自分の気持ちが全然違うことを体験してみることですね。
    おっしゃっているように他者を幸せにする行為(他者貢献)
    という点は同感ですが、
    自己肯定感に違いが出てくるのではないでしょうか?

    良い行いの場合は、
    他者貢献をすると同時に自己肯定感も上がるもので、
    この自己肯定感を得られるというのは何事にも代えられない喜びや
    心地良さになり、またやろうとか成長への原動力となるもので、
    さらにそれを認めてくれる人や協力してくれる人も現れたりするもので、
    人の欲求の中でも上位に位置するものではないでしょうか。

    偽善だと、自己肯定感はそこまで上がらずこれらの何かが欠けている、
    何より続かないと思うんですよね。
    一方で。やる偽善というのも、やり始めはたとえ偽善でも続けられれば
    自己肯定感が高まって善に変わってゆくというのもあると思います。
    やらないと0点、偽善だと50点かもしれないけど
    何回もやってゆけば100点に近づくという感じかな。

    始めは善とかどうかもわからず、
    増やしたり継続によって善に変わってゆくものも多いと思います。
    善か偽善かは点(1つ、1回)で決まるものではなく、
    線(点の集まりや継続など長い目)で見るという考えを持つと
    少しは見えてくるものがあるかもしれませんね。

    若いうちからいろいろ悩み考えることは大事で、
    たとえ答えが出なくても糧となっていぇうくものですよ。
    感性はかなり鋭いので、それを大事にして育てていってくださいね。
  • refresh約2年前
    メンバー
    わしゅー 40代 男性
    ご相談ありがとうございます。

    なにが良い行いか、ということは、倫理の問題ですね。

    倫理には大きく、「功利主義」と「カント主義」の2つの考え方があります。


    「やらない善よりやる偽善」は、功利主義の立場になります。功利主義は、行動が良いか悪いかを、「それによってみんなの幸福の量が増えたかどうか」で判断する。それが偽善だろうとなんだろうと、幸福が増えればよい。

    なので功利主義的には、幸福が増えるなら偽善=善です。「自分も相手も幸せになる。偽善だろうがそれは良い行い」まさにこの通りです。


    いっぽう、功利主義の悪いところは「おおぜいの人が幸福になるなら、少数の人が不幸になるのは仕方がない」と考えてしまうところです。

    カント主義は、この点でまったく違います。カント主義の場合は、行動を結果で判断する、ということをしません。すこし難しいですが、「もし~~ならば、○○すべき」という条件付きの行動は善ではなく、「どんなときでも無条件に○○すべき」という行動だけが善である、と考えます。

    たとえば、人助けをするとします。そのとき「この人を助けると、あとあとメリットがあるから、助ける」と考えたとしたら、それは善ではない。ただ「助けるべきだから、助けるのだ」と考えて動いたときだけ、それは善だ、ということです。

    なので、プレゼントをするとき「もし喜んでもらえないなら、プレゼントしない」という気持ちが少しでもあるなら、それは善ではなく、偽善だ、と考えるのがカント主義です。


    ご参考になさってください。
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