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ただ話を聞いてほしい

私は偽物だから、大丈夫。ずっと誰かに話してみたかった話す人も話すこともない昔のこと
visibility372 edit2025.02.02
14歳〜20歳まで。
愛されたかった
私がひきこもった理由はそこが根本の原因だったのだと今になって思います。
私にとっての人生はずっと曖昧で、過去の私に聞いたら教えてもらえる時もあるけれど、それもしないからずっと自分のものではないよくわからないものです。
記憶にある1番古い記憶は、両親の喧嘩。
毎日血が飛び散って家の中がぐちゃぐちゃになってパトカーのサイレンの音が聞こえる凄惨なもの。
そこにどうにか止めようとパニックになりながら飛び込む自分を必死に部屋に引きずり込んで止める兄の姿が思い浮かぶ。
実母はブロン液中毒だった。パチンコや男にも依存していて、父親の金を盗んだり父親が買ったカメラや少しでも金目の物を何でも質屋に入れてそれでブロン液を買ったりパチンコや男、ブランド物のバッグに使っていた。もちろんそれがバレて父親と喧嘩をする。
風邪薬の市販薬としてドラッグストアで気軽に購入できたブロン液は当時、覚醒剤と同じ成分が微量ながらも入っていてそれに依存して大量に購入する人がいたと、この年齢になってネットに触れるようになり知った。
当時はただ、実母が隠していた大量のよくわからないブロン液という瓶のことで父親は怒るから、やめた方が良いとは思いつつ、止められなかった。
実母は自分が幼稚園になる頃には昼間はずっと寝ていて、夜に遊びに出かけてしまう生活だった。家にいると必ず父親と喧嘩をして血を見るので実母は家にいない方が安全だった。
私は幼稚園の頃から不登校で、まともに通ったことがない。
幼稚園の送迎バスがマンションの下まで来てくれるのだが、実母は朝起きることができず下まで連れて行けず、そのまま放置が大半だったからだ。
何かの間違いで幼稚園に行った日には、今度は帰れなくなる。帰りの送迎バスの来る夕方には実母は家にいないか放置されるので幼稚園に逆戻りしてしまい、幼稚園で待たされる。
そこで自分はずっとバスの待ち合いの階段のところでずっと家の方を向いて待ち続ける。その頃の自分は人見知りで怖くて先生たちとは話せなかった。ずっと1人でそこで待ち続けて、先生たちも帰り出して、21時を過ぎた頃に仕事を終えた父親が迎えに来る。
でも救いもあって、小学6年になった兄が自転車で40分以上かかる道を飛ばして学校終わりに迎えに来てくれるときがあった。それがたまらなく嬉しくて今でもその姿を思い出して泣きそうになる。でもそうすると、帰り道は暗くなるので幼稚園の近くにあった公園で遊んでみたいなってずっと思いながらただまっすぐ一緒に帰った。
遊んだことがなかった。一度でいいから、ただ遊具で遊んでみたかった。
小学校に上がると、小学1年生の最初の頃は兄と実母と父親と自分とで4人暮らしだった。
学校も家から近くて、兄の友達や近所の子供たちとずっと放課後に遊んだりしてサッカーなんてできちゃったりして、とても幸せだった。
でも、ある日父親が失踪した。
覚えているのは実母が留守番電話の音声に向かって、(父親)を出せ!と怒鳴っているところ。
いなくなったんだな、とだけわかった。
そこから、家がなくなった。
実母と兄と自分と。3人。
近所の子達と兄とが作った秘密基地で兄と夜を明かしたり、公園でバレないように過ごしたり、とにかくなぜか周囲にバレないように必死だったことだけ覚えている。お腹のこととか生きていくとかそういうことは気にしていなかった。
気付いたら実母が新しい家を用意して、そこに移り住んだ。
実母は帰らない。
最初は良かった。実母が金を借りた人達が金返せと怒鳴りこんでストーカーされて1階だったから窓の方から回り込まれてひたすらドンドンされるだけだったから。
でも、電気もガスも止まって、冷たい水でシャワーを浴びて、冷蔵庫の中も腐って臭くて、作ったカレーにはウジが湧いていて。
学校にもホームレス生活中には行けなかったけれど、行けていたし。
でも学校で臭い、学校の給食費も払えないと問題になって親を呼ぶように言われてしまった。
実母は帰らないし、それを何度も繰り返して学校側ももう支払う気がないだろ?と強めに言うようになってしまって、もうどうしようもなくなってしまって、自分だけ父親の連絡を渡されていたので、兄に言って、公衆電話で父親に電話をかけた。
それが間違いだった。
父親と女性1の家に移り住んだ。
父親の家には、浮気相手の女性1がいて、その女性1と兄は折り合いが悪かった。
あと、兄は父親の実子ではないからか、扱いが搾取的だった。育ち盛りの中学生、いつも「お腹すいた」と言っていて、引っ越したことで人間関係も増えて付き合いもあるだろうに、そのことに頓着する人間性を彼らは持っていなかった。
ゲームが大好きだった兄は、彼らに目の前でゲーム機を破壊されたり取り上げられたりとやりたい放題にされていた。
次第に、兄は父親の500円玉貯金箱からお金を盗むようになり、私はそれを薄々勘付きつつも何も言わなかった。兄が辛いのはわかっていたし、それがどういう結果になるのか馬鹿な自分は考えようともしなかったから。
それである日兄と一緒に盗んだお金でマックに行った。ダブルチーズバーガーを頼んだ。「秘密だぞ」と一緒に笑って食べて、これで自分も共犯なんだって、なんか仲間になったみたいで嬉しかった。一緒にどこまでも行ける気がした。
それが良くなかった。
父親に案の定バレて、激怒した父親は兄を家から追い出して、実母の家に追放した。
走り去るトラックの中から見た兄は号泣していて、私はそれをじっと見るだけ。
こんなことになるのなら、兄のことを止められれば良かった、父親にも気に入られている自分なら兄のことを庇えば追い出されるのも止められたかもしれない、兄にあんな顔を、泣かせずに済んだかもしれない。
それからは自分は1人で、父親と女性1の家で暮らした。犬もいた。
女性1にはお母さんと呼んでねと言われ、私は追い出されるのも怖いし、流されやすい性格もあったのでただ言われた通りにした。
父親と女性1の情事を見るように言われた時もただじっと。見てしまったときも笑って誤魔化した。
その頃から自分のおねしょが始まり、ベッドで寝かせて貰えなくなった。ずっとソファで寝ていて、洗濯物も汚いからと紛れ込まれて洗わせてもらっても洗い終わったときにはバレてソファに投げられて、乾かすのはソファの背もたれに掛けてだった。
洗うのが面倒だからと、夏でも冬でもタオルケット1枚で寝て、冷暖房は勝手につけると怒られるしそもそもが申し訳なかったから使えなかった。
実母と兄の家、兄が生きているのか心配で、父親が実母にお金に渡している内は、自分が実母に会いたいと言って泊まりに行っている内はお金も渡すし生活の状況も見れるから、毎週のように実母と兄の家に泊まりに行っていた。
それでも実母は家を度々引っ越して家を失うので兄は本当に苦労したと思う。それでも実母を想っていて、そこからだ。本物と偽物を区別するようになったのは。
どれだけ苦痛で苦難をもたらす存在だとしてもやいのやいの言いながらそれでも関わり続けようとする、そんな本物の関係性。
私にはありえない関係性。
そん
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