ただ話を聞いてほしい
30代 女性

自分の存在価値について

visibility62 chat1 personささ edit2025.09.10

私は小5の頃父を癌で亡くし、母は一向に働きに出ず、やがて貯金も無くなりマンションを追い出され、2個上の兄と共に児相の一時保護所に預けられた後児童養護施設に預けられました。
その後、生活保護で家族3人、狭いボロアパートでの生活が始まりました。
母は昔から違和感のある人でした。朝っぱらから酒に酔っ払い、包丁片手に外に飛び出し、助けてーと叫びながら路上で包丁を振り回していたのが保育園の頃の記憶です。その時は父が慌てて取り押さえて家に連れ戻しました。
家族川の字で寝ていると、夜な夜な声を出して泣くので煩くて途中で起きてしまい、別室のソファに避難する事も多々ありました。私が先に避難する時もあれば、父と兄が先に移動してる時もありました。
専業主婦だったので学校から帰るとチャイムを鳴らして母に開けてもらうシステムでしたが、母は昼間っから寝てることも多くて、チャイムを鳴らしても起きない事もよくあり、家に入れない事も多かったです。後から兄が帰宅し、事情を知ると隣の家の塀からベランダに飛び移って開いてる窓から侵入して鍵を開けてくれた事がありました。マンションは2階で、下には大きな庭石があり、落ちたら大怪我するような状況で兄を心配しとても怖かった記憶があります。時には仕事中の父の職場に兄が公衆電話から電話して父を呼び出し鍵を開けてもらう事もありました。
母とスーパーに行った際、ここで待っててと言われて待ち続けても迎えに来なかった事がありました。仕方なく一人で帰ったら母は既に帰宅しており、何故か私にブチギレて夕飯抜きでそのまま寝ろと言われ、泣きながら寝ました。
母にビンタされて怒られた事が何度かありましたが、兄がされてる所は見たことがありませんでした。
両親とも喫煙者でしたが、母はタバコを吸い出すといくら話し掛けても無視する人でした。ムカついてタバコを隠すと普段以上にキツく怒られました。タバコを吸っている時はいつも空想の人物とゴニョゴニョ言い争ってました。
私が高校生の頃、母がスーパーで変なおばさんに絡まれてカッとなってビンタをかましてしまい、私が警察から呼び出しを受けてもうしませんみたいな念書?を一筆書かされたこともあります。
母は大の病院嫌いで、足が痛いとしきりに言っていましたが頑なに病院には行きませんでした。何で行きたくないのと聞いたら「行ったら帰って来れなくなるから」と言われました。私自身も幼少期皮膚科や耳鼻科は連れて行ってもらってましたが歯医者には連れて行って貰った事が無く、高校生の頃虫歯が痛くて泣いて頼んで仕方なく連れて行って貰えました。歯科医にいつから歯医者来てないの?と聞かれ、はじめて来たと答えたら驚かれました。
母は何かしら精神又は知的に問題を抱えてるだろうとは感じていましたが、本人が行く気が無いので病名は分かりません。もしかしたら私が施設に預けられている間に何か診断を受けてたかも知れませんが聞いた事はありません。
兄は高校卒業後世帯分離し、自力で国立の大学に進学しました。先に就職したのは私で、そのタイミングで生活保護は切れ私が母を養っていました。ブラック企業だったので朝9時から夜0時半まで働いていました。家事は母の役割でしたが、帰宅して母は既に寝ており、夕飯が用意されていない事もよくありました。家からコンビニまで自転車で片道15分程で、既に深夜で疲れているので食べるのは諦めていました。夕飯用意出来ないなら事前にメールしてと伝えてもメールのやり方が分からない、教えると言っても分からない、出来ない。なので仕方なく毎日買って帰ると夕飯用意したのに!と怒られました。
兄が大学院進学のタイミングで家に戻り、私はその間兄も養っていました。仕事を頑張って昇給し、嬉しくて家族に報告したら、いくら昇給したの?と聞かれたので5,000円と答えると、「たったの5,000円笑」と2人に笑われました。
兄が大手企業に就職してからは生活費を折半するようになり、ようやく私も貯金が出来るようになったのですが、半年ほど経って兄が私に何も言わず家にお金を入れなくなりました。母は私にしか生活費を要求してきませんでした。暫く経って、何故お金を入れないんだと兄に聞いたら「奨学金の返済があるから」と言われました。母は徐々にお金が足りない足りないと私にだけ言ってくるようになりました。
私はストレスの限界に達し、母に何故私にだけお金を求めるんだとブチ切れました。母は兄は色々大変だからと言いました。私は家族を見捨てる決意を固め、折半中の半年で貯めた約50万円で一人暮らしを始めました。それが25歳の時です。
ここから先もまだ色々あったのですが本題に入ります。
これまでの人生、私の存在価値って何だったのでしょうか。兄は昔から優秀で、よく周りから褒められてました。一方私は勉強も運動も出来ず、よく周りから馬鹿にされてました。家族から何か褒められた記憶がありません。
私なりに家族のために頑張ってきたつもりです。でも家族は一度もありがとうと言ってくれた事がありません。
人は誰しも価値のある存在だとよく聞きますが、実際のところ優れた人間は褒め称えられ、そうでない人間は馬鹿にされる世の中です。
優秀と褒められてきた兄が私の収入を馬鹿にした事実は誰も知りません。
私はここに書いたことを繰り返し思い出し、ネガティブな気持ちになります。それを他者に伝えると、もっと前向きに生きなよと言われます。正直今更どのようにしたら前向きになれるのかも分かりません。家庭環境が複雑だと予後が悪いともよく言いますが、それは半分正解で、兄のように才能を持って生まれれば挽回出来るのも間近で見てきてしまいました。私は真面目に頑張ってようやく人並みです。真面目が良い所だと周りから言われても、真面目にやらないとまた馬鹿にされたり呆れられたりするので仕方なく真面目にやってるだけです。
私は最近、産まれてくるのは兄だけで良かったのでは?とよく思っています。私っていなくても別に良かったよねと。
私は今諸事情あってメンタル疾患を患い会社を退職し、4年間無職です。そろそろ貯金も底を尽き、今後は適当にホームレスになって死にたくなったら死のうかなとぼんやり考えています。今のところ死ぬ気は無いのでその辺はご心配なさらずに。
哲学的な質問ですが、人の価値って何でしょうか。何で決まるんでしょうか。
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コメント一覧

  • refresh3時間前
    Q 50代 その他
    読ませてもらいました。あなたが書いてくれたこと、ひとつひとつの場面が胸に刺さってきて、正直なところ「よくここまで耐えてきたな」と感じました。これはお世辞ではなく、文章の流れからにじみ出るリアリティが、そう思わせるんです。
    「人の存在価値」について。これは昔から哲学者も宗教者も心理学者も考えてきたテーマですし、答えが一つに決まるものではありません。けれど、あなたが今直面しているのは「世間で言われる価値」と「自分にとっての価値」のズレだと思うんです。
    兄は優秀で褒められた。あなたは真面目に頑張っても褒められなかった。こういう体験が重なると、「世の中の価値は能力や成果で決まる」と感じるのは自然なことです。でも心理学的に見ると、人間の価値って三層ぐらいあるんです。
    一つ目は「社会的価値」。学歴、収入、肩書き、見た目…これらは周りが評価しやすい指標です。兄はここで強かった。あなたはそこで損をしたように感じている。
    二つ目は「関係的価値」。誰かに支えられたり、逆に支えたりすること。家族を長く支えてきたあなたは、実はこの部分ではものすごく大きな価値を果たしてきたんです。ただ残念ながら、その努力を受け取る相手がまともに感謝を返せない環境だった。だから報われ感がゼロになってしまった。
    三つ目は「存在的価値」。これは何かが出来るとか出来ないとかを超えたところにある、人が生まれてきただけで持っている根っこの価値です。河合隼雄がよく言っていたのは「存在はそれだけで贈り物」という考え方で、岸田佳祐が好むような現実的視点で言えば「あなたがそこに居たから兄は自由に勉強できた」わけです。つまり、他人の人生に与える影響は、能力の数値だけでは測れないんです。
    ただ問題は、「存在的価値はあるよ」と言われても、心の奥で「でも私はいらなかったんじゃないか」と感じてしまうところにありますよね。そこが一番苦しい。だからこそ僕は、「人の価値は何で決まるか」という問いを少し変えて、「あなたにとって意味のある時間は何か」という形で考え直してみてもいいのかなと思います。
    兄や母にどう思われるかは、あなたの人生の核心ではない。むしろ「自分で自分を裏切らなかった時間」、これがあなたの価値を作っているように見えます。ブラック企業でボロボロになっても養った、感謝されなくても支えた、馬鹿にされても投げ出さなかった。これは「真面目」という言葉で片づけられるものじゃなくて、もっと深い「誠実さ」と言っていい部分です。
    誠実さって、すぐに派手なご褒美をくれる性質のものじゃありません。けれど、人生を長い目で見たときに、人と人をつなげていく基盤になる。だから「人並み」とあなたは書いたけど、その人並みを守り切れる人がどれだけいるかを考えると、それはかなり特別な力なんです。
    今は無職で、先行きも不安で、「ホームレスでもいいか」と思ってしまうほど気力を奪われている状態ですよね。その気持ちもよく分かります。でも同時に、「死ぬ気はない」と書いてくれている。これは、あなたの中にまだ「自分の価値を探し続けたい」という意思が残っている証拠でもあると思うんです。
    だから僕からの提案は、「価値=結果」という視点をいったん脇に置いて、「価値=今ここでの体験」に少しずつシフトしていくことです。小さなことでいい。たとえば今日、朝起きられた。スーパーに行けた。ご飯を食べられた。それを「誰かに褒められなくても、自分で価値と認める」。これは地味に見えるけど、積み重なると自己評価の土台になります。

    あなたが「産まれてくるのは兄だけで良かったのでは?」と書いた気持ちも分かります。でもね、兄は兄で、あなたが居たから自分の道を歩けたんです。あなたが存在したから、兄は「優秀」と言われる場所に安心して立てた。そう考えると、兄がどう感謝しようとしまいと、あなたの存在はすでに意味を持っていたんです。
    人の価値は「他人が決めるもの」ではなく「自分がどう生き切ったか」で決まると、僕は思っています。あなたはすでに、複雑な家庭を背負いながらも真面目に歩んできた。その歩みそのものが、誰かの基盤になってきた。だから、「価値はあった」と僕ははっきり言えます。
    もし今後、少しずつ気力が戻ってきたら、「自分だけの喜び」を増やすことに力を注いでほしいです。兄や母の基準ではなく、あなた自身が「これは良かった」と思えること。それを見つけていく過程こそ、あなたの存在の価値を自分で確かめる道になると思います。

    あなたがここにこうして文章を書いてくれたこと、それ自体がもう誰か少なくとも僕に影響を与えてますよ。だから、あなたは「いて良かった人」だと、僕は信じています。

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