東日本大震災から5年

東日本大震災発生から、もう5年?まだ5年?

今回のブログには、震災や津波の話が含まれます。苦手な方はご注意ください。

私の過去のお話に少しばかり、お時間をいただけたらと思います。

今から5年前。ココトモに出会う前のお話です。

私は中学1年生の時に、東日本大震災にあいました。卒業式の前日でした。次の日、卒業する3年生の教室を飾り付けている最中に大きな地震が起きました。

グラグラと大きく揺れて、机の下に潜りました。揺れが収まったので、校庭に避難しました。雪が降ってきたので、ブルーシートをみんなでかぶり、親が迎えに来るのを待ちました。(先生方が親御さんにメールを配信していたようです。)その後寒さが増してきたので、体育館に避難しました。『津波が来る』と情報が入り、校舎の2・3階に避難しました。

川を上って校舎に津波が来ました。水かさが増し、車が徐々に浸水し、流されるのを見ました。地震の揺れで、ガラスを突き破って、図書室の本棚が倒れているのを見ました。

当時、私には何が起きたのか、わかりませんでした。学校に泊まり、教室の床は固く、そして冷たく、カーテンにくるまって寝たあの日のことを、忘れることはないでしょう。停電が起こり外は真っ暗なのに、一部分だけ赤く見えました。「近くの小学校が火事で燃えていた」と、後から知りました。

一晩経っても水は引かず、警察の方がゴムボートを引っ張って、救助に来てくれました。数人ずつグループを作り、地域の方々から先にゴムボートに乗り、私達がゴムボートに乗る頃にはすっかり日は落ちて、夜が訪れていました。津波によって川みたいになった道路を渡り、そこから歩いて、近くの小学校(火事のあった小学校とは別の小学校)に避難しました。いつもは見えるはずのない夜空に、星がたくさん見えました。

家族と再開できたのは、震災が発生してから数日後でした。やっと家族に会えた嬉しさは、忘れることができません。それから、高台に住む親戚の家で何日かを過ごし、我が家に帰ってきました。

水は引いたものの道路に魚が打ち上げられていたり、大量の瓦礫やヘドロを片付ける日々が始まりました。

家の中や外の片付けに追われながら、あたり一帯が断水していたので、自衛隊のタンク車まで水をもらいに行きました。

救援物資が配られたり、炊き出しで温かい料理が振る舞われました。とても、ありがたかったです。ありがとうございます。

落ち着いてから、震災前に家族で出かけた思い出の場所に行ってみました。そこにあったのはたくさんの瓦礫と多くのものが失われた跡だけでした。

震災直後は、小さな物音に過剰に反応したり、震災関連のニュースを見ないようにしたりしてました。今でも、震災関連のニュースを見ると、心がキューと小さくなる気がします。涙も溢れてきます。

震災の影響(?)

私は時々、過去が現在と繋がっていないと感じることがあります。楽しかった出来事でさえ、あれは夢だったのではないか?と思うことがあります。

周りの人のたわいもない雑談が、私には恐怖に感じることが多くなりました。話の内容はともかく、声の大きさやその場の雰囲気に苦しむようになりました。「うるさい。自己主張が強い。そんなに張り合うな。」そんな風にしか感じられませんでした。不安や寂しさから、人と繋がることに周囲の人たちが必死になっているように感じました。また、私も必死になっていました。

私には『人に捨てられるんじゃないか』という恐怖があります。震災直後、家族と連絡がつかず、「どうして、友達の親は迎えにくるのに、私の親は迎えにこないのか?見捨てられたのか?」などと不安に思う日々が続きました。

後から聞いた話ですが、家族は兄が通っている隣の高校に避難していました。当時、私は中学生で携帯電話を持っておらず、隣の建物にいるかどうかさえも知らずにいました。

私からのワガママなお願い

私ごとで大変恐縮なのですが、お願いがあります。私は被災者ぶりたい訳でも、それを使って悪用したいとも思いません。どうか大きな震災があったことを忘れないでください。

私は震災をなかったことに、することが、できません。忘れたくても、忘れることができません。私は震災を忘れられることが1番怖いです。震災を忘れたら、その時間を経験した人がいたこと事態も忘れられるような気がします。どうか忘れないように、頭の片隅にでも、いれといて貰えればと思います。

  • 多くの方が震災によって、亡くなられたこと。
  • 被害にあって、苦しんでいること。
  • 今も仮設住宅で、仮の生活を続けている人がいること。
  • 復興のために努力をしていること。
  • 風評被害で悩んでいる人がいること。
  • まだ時間が止まったままの人がいること。

時間が止まってしまったからこそ、できた繋がりや絆もあります。でも、失ってしまったものの多くは、取り返せないものがほとんどです。

「瓦礫が片付いたから、もう大丈夫。」「復興住宅が建ち始めたから、もう大丈夫。」と言うことではありません。私達の復興は、まだまだこれからです。

終わりに

私はこの5年間を死んだように生きていたのかなー?と思うことがあります。生きることに必死だったのは確かなようです。友達に「必死になり過ぎている」と実際に言われたことがあります。

東日本大震災から5年が経った今でも、現実を受け入れるのは苦手です。私は津波が怖いです。1人になることが怖いです。

でも、多くの方のおかげで、私は現実を受け入れながら、今日というこの日まで、生きてこれました。ありがとうございます。これからも、多くの方に助けられて生きていくのだろうと思います。

文章がまとまらず、読みづらかったらごめんなさい。

助けてくれたお礼として、恩返しの意味合いを込めて、辛い現実を受け入れて、前に進められるように、お手伝いさせてください。まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします。(*・ω・)*_ _)

以上、ココトモライター・エディターチームのアイスでした。

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全4件のコメント

  1. ぬい 2016.03.22 23:38

    震災
    それで失われたものが戻ることは無いのかもしれないけれど
    新しい形で復興していっていること
    それがまだ完全でないこと
    消えない傷があること
    それでも一歩ずつ前進しようとしていること
    それを胸においておくことは大切なことだと私は思います

  2. なつめ 2016.03.13 07:38

    書くの辛いこともあったと思います。記憶をつないでくださってありがとう。私もあの日を忘れません。

  3. オハナ 2016.03.12 13:32

    アイスさん、ありがとうございます。
    私は東北に親戚が沢山いるので、自分も怖かったのですが、アイスさんや親戚はもっと怖かったんだと思います。
    得たものもあるのかもしれないけれど、失ったものの方が多く、命は取り戻せないんだと思います。
    それを色々考えて、受け止めているアイスさんは、凄いなぁと思います。
    昨日は多くの人達が様々なことを思い出して考えて泣いていたんだと思います。
    どうか、震災が風化しませんように…

  4. キュウ 2016.03.12 10:45

    アイスさん、ブログありがとう!キュウです(笑)(笑)

    アイスさんの体験、心に響きました。
    きっと、震災当時アイスさんが見ていた風景と私が見ていた風景とでは凄く違うんだろうなあと思いながら読んでいました。私は関東の自宅で震災の日を迎えたのだけど、それですら強烈だったから、アイスさんはもっともっと強烈な経験をしたんだろうな。

    ブログにするために震災に向き合うのも辛かっただろうに。。。

    色々と考えさせられるブログでした。ありがとう!

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