お喋りムードメーカーの原点
visibility1,598 edit2017.12.17
お喋りムードメーカー、オハナ。
これは、私のニックネームのサブネームだ。
この肩書きを持ちながら早2年経ったのに、恐ろしい事実に最近気付いた。
いや、正確には、自覚した。
私は、喋ることが好きだが好きでない。
私にとって、喋ることは元々、自己防衛だった。
短気な父親に対して、面白い事を言ったり、笑わせようと、頑張って喋れば、父親は喜んでくれる、楽しんでくれる。
母親もそう、喋って笑わせることで、安心していた。
だって、笑って、楽しいことを提供すれば、自分も嫌な思いをしなくて済む。
親にもやっていたことが、外に出て友達にも、他の人にも、会社でもやるなんて、そりゃあ当たり前のことであって…
人の機嫌をとることが、うまくなった。
それは、コミュニケーション能力とかうんたらかんたらの面でも、好評価だった。
それで良いんだと思った、話が面白い、話していて楽しい、そんなことが出来る自分は、素晴らしいんだと、コミュニケーション能力だけは、自分の強みだった。
でも、根本的な発信源は、『沈黙があると恐い。人を笑わせることが目標であり、そういうコミュニケーションで自分を守る。』ことである。
それが、自分にとって長い目で見た時に、居心地がいい訳はなかった。
たまに喋った後に来るどっとした疲れ。
頑張って喋った時に、それが報われなかった時の『うまくいかなかった』や『失敗した感』。
なによりも、それはいつしか仮面となり、違う自分を作り出して、辛い時に『しんどい』と言えない自分を、勝手に自分で作り出してしまう。
全て自己責任で作り上げたもの。誰かに強制されたわけでもない。
それが当たり前だと思っていればまだ良かったのに、そうじゃないんだって、気づいてしまったら、さぁ大変。
自分らしく、頑張らずにいよう、そう思ってこれに気付いたら、あら大変。
お喋りムードメーカーとは違う方向に行ってしまう。
しかも、喋っていて必ずしも好印象に繋がる訳じゃない。
『うるさい』なんて言われれば、一体誰の為にしているのか分からないし、そもそも誰かの為にそんなことする必要がそもそもないわけであって…
他人軸で頑張ることは、いつしかボロが出て、まず自分が気づく。
喜ぶ人が全員でなくて、尚且つ自分も楽しくなくて、自分の為になってないなら、一体何の意味があるんだろう?
でもきっと、これに気付けたのは、『そんなに努力しないと笑ってくれなくて、そんなに喜ばさなきゃいけない程、他人は怖くない』と、心のどこかで気付いたからだ。
本当は私、ここまで頑張る必要ないんじゃないか?って。
こんなにスイッチを切り替える必要はないんじゃないか?って。
こんなに仮面をかぶる必要があるのか?って。
きっと、ない。
そんなにしなくても、誰も私の事を怒らない。
もう、そんな怒りに勝てない子供ではないでしょう?
全部、過去のことだから、今は守ってくれる人もいるし、自分も成長したし、人はみんな短気な訳じゃないし、ヒステリックな人ばかりでもないよ。
そうやって、教えていってあげないと…。
「何も考えてなくてやったことの方が、あなたは面白い。」
昔、とても大好きで大切な人に、言われたことがある。
多分、何も考えてなくて、ストレスフリーでする事に、幸福の鍵はある。
自己防衛から来るお喋りは、いつか外せない仮面を作る。
そうじゃない世界にもういるんだから、仮面は意識して外していこうと思う。
でもきっと、外して行ったら無言になるか?と聞かれたら、150パーセントそれはない。
喋るのは、やっぱり大好き♡
でも、無言でいることを恐く感じたり、人の笑顔を躍起になって取りに行こうって、人を笑わせることに注力はしない。
相手も自分も、ありのまま?で過ごせるような、時間を作っていけたらな、どんな人とも。
って思う。
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