ハッキリ親に伝えられることは、ステキなことだと私は思う。
visibility1,582 edit2017.12.30
親に対して、「生きていたくない!どうして生まれてきたの?!」と勢いで言ったとしよう。
ちなみに、私は、この類のことを思っても言えなかった。
親の悲しそうな顔を見るくらいなら、本心を我慢したほうが自分が傷つかなかったから。
でも、もしそう親に本音を、本心を、ハッキリ伝えられる人が目の前にいたら、
私は、その人を全力で素敵だと言いたい。
褒めたい。
尊敬する。
その親がどんなに悲しい顔をしていて、その発言を非難されたとしても、
周りがとやかく言っても…
だって、親にそういうことを言えるような関係性を、気持ちを、あなたは持っているということだから。
チキンな私は、そんなこと出来ない。
そんな勇気ない。
そんなことをハッキリ言うほど、親を信用していないんだと思う。
相手が傷つくから…と我慢することは、『良い』と言われることが多い。
ハッキリ言わないこと、オブラートに包むこと、気を遣うこと…人として『正しい』と。
そういう常識や固定観念は、親にだって使うもの。
特に大人になるにつれて、そういうことを言えなくなるもの。
でも、親に全力で言いたいこと言って、時にはぶつかって、なんなら物投げたりとか出来る関係…
そういうことすることを、勇気だと私は思う。
反抗期みたいことが出来るって、素晴らしいことだ。
そう思うと、人を悲しませることイコール悪いこと。とは言い切れない。
人を笑顔にさせるだけが良いことではない。
言いたいこと、思ったことを言うのは「恐れ」が伴う。
その恐れに、私は大抵負けることが多かった。
特に、親は切っても切り離せないから、特に負けていた。
だって、恐いもん。
死にたい、と思った時も、そんな事口に出さなかった。
死にたい、生きていたくない。
心ではこれまで何万回も思ったことはあるけれど、そんな気持ちを親に吐き出せたことは、今まで多分ほとんどない。
なかったかもしれない。
だから、親とそんなやり取りをした話を聞くと、素敵だなと思う。
勿論、生きていたくないと思う事に対して、『良い』と思うわけではない。
そう思うってことは、何かしら苦しんでいるということだから。
幸せだと感じられていないということだから。
でも、そんな気持ちを、『親』という存在に言える気持ちは、尊重したいと思う。
みんな出来ることじゃない。
そんなことを言う子供として、自分を責めることのほうが多いのかもしれないけど。
前に「不登校は自分を守っているということだと思う」という思いをブログにしたことがあったけど、その時と似たような感覚を覚えている。
多分、どっちも勇気がいることだ、少なくとも私にとっては。
もし、親に酷いことを言ったことがある人がいたら、それは『酷い』ではなく、『勇気あること、そんな関係性を親と築けているということ』にも目を向けて欲しい。
誰かを笑顔にすることが、全てではない。
ぶちまける関係って、素敵だ。
悲しい顔は、一生そうじゃなければそれで良い。
笑顔もあれば、悲しい顔も怒った顔もあって当然。
くるくる変わる表情や気持ちがあるのは当たり前のことだから。
大切なのは、笑顔にすることとかではなくて、自分の本心を伝えるということ。
きっと、親子関係だけに言えることではないだろうけど。
お互い険悪な雰囲気になることがあったとしても、最終的にどこかで笑い合っていれれば、それで最高なんだと思う。
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