観察し続ける意志力で人生をちょっと楽に😽

唐突ですが、僕たちはこの世界について何も知りません。

人生においてほとんどの見聞きすることを、何となく受け取って、その深意や本質を知らないまま生きています。

一番身近な自分という存在ひとつをとっても、自己認識はあっても、自分の体の構造や、状態、感情の細かな働きなど、一切をほとんど知らないまま生きています。

この何も知らない、は正見性が身につくほど分かるものです。

物事を正しく見る目があるほど、その本質を何も知らないと気付かされます。

つまり、何も分からないので、悩みが生じて当たり前なんですね。

対人関係の問題、自己への不満、離別や死別などの別れ、病気や怪我、、、大体の問題に必ず”なぜ?”が付きまといます。

なぜ、それが自分に起きるか分からない。

だから人生は悩みが付きまといますし、仏教的にも人生は苦そのもの、つまり一切皆苦というわけです。

この分からないのはしょうがないです。そもそも、人生とはそういうものです。どんな世界的天才でも分からないことだらけです。

分からずに苦が生じるからこそ、乗り越えようとして努力し、成長に繋がります。

つまり、一切皆苦のこの世界は、成長するための舞台だと言えるでしょう。

ほとんどのことが分からない中で、どう生きる人なのか?それを試されているのが人生というものだと感じます。

分からない中で苦しむのは辛いと思います。

でも、ちょっとだけ楽にする方法があります。

普段から、自分へ向かっている意識を、僅かでもいいので他者に向ける意識に変えてみてください。

慣れてくれば、その意識を増やしてみてください。

そして、その変化を観察し続けてください。

そうすると気づきます。

他者に与えた善い意識は、カタチを変えて自分に帰ってくることを。

これが、この世界は鏡である、と言われる所以です。

僕たちの悩みの元凶は、自分優先で他者を顧みない自我です。

自我が薄まるほど、心の風通しはまるで変わります。

これが数年単位で観察を続けると、因果律の実在に気づくでしょう。

あなたの行動の原因と結果が、恐ろしく計算されたかのように発生していることに気づきます。

これを古神道で、神計らいと呼びます。

西行法師の和歌「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」ということに気づきます。

 観察の中にこそ、神は宿ります。

 そして神という存在は、結局分からないということに気づきます。

 推し量ることが出来ない存在であり、分からないこの世界や人生そのものが神であることに気づきます。

 僕は巷によくある「神さまを味方につけて幸福に生きる」という軽率なノリは好きではないんですが、感謝し、観察し続ける者には神が宿るとは思っています。

 何か参考になれば嬉しいです😄

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