受付終了
10代前半 男性

不幸になりたくないから、幸せにも生きられない。

閲覧数2409 コメント数3 person退会したユーザー edit2018.09.30

初めて投稿いたします。
様々な重圧に耐えかねて、この場に辿り着きました。
拙く、お見苦しい文ですが、閲覧して頂けると幸いです。


昨日、久々に強い自殺衝動に駆られ、もう駄目かもしれないと思いました。
問題は家庭や仕事など多岐に亘りますがこの場では省略させて頂きます。
明確にあるのは、自分自身の「わからない心」です。

私は三歳の頃から現在まで愛情を求めて生きてきました。
愛情を受けたい一心で生きていました。
しかし、努力はいつも空回り。
体調や心を壊し、結果的に迷惑をかけてきました。
でも、繰り返してしまうのです。
社会人になってからの日々は、必要とされることが嬉しくて走ってきました。
いつの間にか、体も心も疲労で限界なのに「ここで折れたら必要とされなくなる」そんな強迫観念の日常へ変わっていました。


良い点数をとるのも、良い仕事に就くのも、沢山働いてお金を稼ごうとするのも、綺麗になろうとするのも、全て誰かに認めてもらいたかったから。愛されたかったから。


でも私が思っているより、世間はそれを平然とこなす人が多いことに気づきます。

私のように、何かを得たいから意識しておこなっているのではなく、それが当たり前として頑張ることができている。故に必然的に人に認めてもらえる。
どうして周りは優秀な人が多いの。
どうして周りは頑張り続けることができるの。
私は劣等感を日々感じ、常に比較する自分が憎くて仕方ありません。

今も私は連鎖の中にいます。過ちを犯しかけています。
わかっています。


脳回路がそういう様にできているなら、この苦しみは終わらないのかな。
そう思うと、生きていくことは地獄だなあと。


幸福を感じると、その後に襲う不幸が怖くて素直に受け取れません。
信頼されると、この関係を壊したくないと無理をして心を壊します。
そう思うと、生きていくことは地獄だなあと。


だからこそ、冒頭で申したように、私は私の心がもうわかりません。
「愛」という漠然としたものに囚われてきた人生。
どこまで行っても私が求めるものは見つからない、そんな気がしてきました。
結局私は何がしたいのか、わかりません。


小さな子が母親と手を繋いで歩いている姿を見かけるだけで締め付けられる心。
見たくないと逸らし続けて生きていくことに疲れてしまった。
ずっとこんな思いを抱いて生きていくのかと思うと疲れてしまった。
誰にも言えない、この醜悪に満ちた心のうち。
初めてこのような場をお借りして、誠に勝手ながら綴らせて頂きました。


ここまで目を通してくださった「あなた」という存在に、心から感謝します。
気分を害された方には、心からお詫び申し上げます。
本当に本当にありがとうございました。
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コメント一覧

  • refresh約6年前
    珈琲 20代後半 女性
    返信ありがとうございます。
    少しでも力になれたのなら幸いです。
    もしかしたら人に好かれるのに必要なのは技術でもお金でもなく。
    真っ直ぐに見てくれる心なのだと私は思います。
    抽象的で分かりにくいですよね。
    話を聞くことで少しでも人の気持ちに近づける。
    その気持ちを少しずつ知っていきながら
    自分なりの考えを伝えていく事なのだと思うんです。
    少しでも分かってもらえるような伝え方や表現の仕方。
    そして自分のなかでの価値観や考え方を育むことで
    話していく際に心が温まるような言葉を伝えることが出来る。
    そうした時に自分が求めてた認めてくれてたと感じるのだと思います。
    早い話、話を聞いて、自分の考えや価値観を話す。
    価値観や考え方を育むには自分が多くの価値観や考え方で感動する必要がある。
    本とは著者の人生。他人の人生が詰まってます。
    それを自分の中で取り込めば他人の人生が自分のものになる。
    人生丸儲けという奴ですかね。
    自分が多くの価値観や考え方で感動して、それらに救われる。
    「自分が自分のままで幸せになる。
      自分が自分のままで救われる。 」
    それが私が考える救いの在り方であり、幸せの在り方です。

    長文失礼しました。
  • refresh約6年前
    退会したユーザー
    珈琲様

    大変貴重なコメント感謝します。
    加えて、私のトピックを最後まで閲覧頂き、ありがとうございました。

    珈琲様の言葉を読んでいるうちに、自然と涙が零れていました。温かい言葉です。

    珈琲様のお考え方、とても素敵だと思います。
    自然の摂理に沿っていて、普段、人が常に感じていて気づきにくいことを言葉で表しているようですね。
    受容するにはまだ時間がかかるかもしれませんが、そんなときこそ、その辛さを大切なものとして感じることができたらいいなと思いました。

    珈琲様に巡り会えたこと、嬉しく思います。

    本当にありがとうございました。
  • refresh約6年前
    珈琲 20代後半 女性
    どうも珈琲と言います。
    参考にならなかったり、害されたら申し訳ありません。

    誰にも言わなかった。
    それはあなたにとって本当の願いだったからです。
    それを醜悪な心なんて私は思いません。
    むしろ美しい願いだと私は思いました。
    誰かに話して分かち合いたくなるタイプの幸せと
    心の奥にしまい込んでおきたくなるタイプの幸せがあります。
    ある種の繊細な幸せって
    他人のぞんざいな反応や見当はずれな感想によって簡単に汚されてしまうから
    自分の中だけでその幸せの在り方を思い描き続ける。
    近いようで遠い場所でその幸せを眺め続けるという在り方も良いのではないでしょうか?
    私はこういう「この勘違いにすがりついて生きていこう」みたいな前向きなのか後ろ向きなのか分からない考え方が好きです。
    こういう考え方をしていると何かとても嬉しい事があって
    でも、もしかしたら勘違いかもしれないという時
    その勘違いを無理に真実だと思い込もうとするのではなく
    錯覚のままで愛そうとするという姿勢に私はなりました。
    目を逸らす必要も自分を否定する必要もありません。
    幸せの後に不幸が来ても辛い時だからこそ
    響く歌や言葉や物語があります。
    その時の気持ちだから感動するものがあるのです。
    是非、その時の気持ちだから出来る感動に浸ってください。
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