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22歳、女です。リストカットがやめられません
visibility1559 edit2015.05.21
スルーして結構なので、書かせてください。かなり長いです。
まず、幼少期の頃からのことです。私は小学生の頃、札幌に引越しをし、明るい性格から人見知りになりました。顔が、あまり綺麗ではないこと、恥ずかしくてしゃべれない事から、「ブス菌が移る」とよく言われ、遊びの時も「汚い!」と手を掴んでもらえませんでした。「自分がされたくないことを、人にしてはいけない」という考え方から、色々と厄介事を押し付けられたこともあります。「人がどう思ってるのかな?」という恐れもあり、苦しくて不登校になりました。中学校も、会って何もしてない同じ部活の女子に、大会の時「邪魔馬鹿死ね」と言われたり、クスクス笑われたりして、涙が止まらず、また不登校になりました。高校こそは!と頑張ってみたもののやはりだめ。通信制ですが、毎日通う学校に変えました。
ここから、友達Oができました。友達、だったのかもわかりませんが。
彼女は、「貸して」と言ってきたCDを、「ケースを忘れた」とビニール袋にCDを素のままで入れたり、
「誕生日だから何か買って!」とせがんできたりしました。「友情はお金で買うものじゃない」と思った私が断ると、拗ねてしまいました。やがて、私が来ると不機嫌な顔になるように。
それから、友達Mが加わり、三人組となりました。これも、三人組だったのでしょうか。
OはMには優しく、明るく、「かわいいかわいい」とするのですが、私には相変わらずの調子です。
Oが慕う先輩と、みんなでカラオケに行った時も、私が歌っている時はみんなでお絵かき。おしゃべり。
(Oの先輩も、私が気に食わないらしく、不機嫌に接しました。)
スクーリングというものが、私の通信高校にはありました。
最初のスクーリングは、涙の一言。
バスに乗った時、「〇〇ちゃん(私です)は?いーや。」と、OはMを引っ張り、ふたりで座って談笑していました。私は、ひとりで座りました。その後も、Mが私の方についてきてくれようとすると、Oは割って入り、Mを奪うように持って行きました。
先生方は、このことについては無言。無視。
でも、手芸体験の時、Mが私に完全についてくれた時、Oがひとりになると、途端に構い出しました。
とても、悲しかった。
二回目のスクーリングは、眠る前のよくあるお話の中、Oに寝てる扱いにされ、入れてもらえませんでした。「起きてるよ~」と言ったのですが、完全無視です。皆が寝たあと、泣きました。
そのことを悟ったかのは知りませんが、翌日、同室だった同級生と後輩がメールアドレスを交換してと言ってくれました。嬉しかったです。でも、後輩には速攻で着信拒否にされました。
それからは、Oは完全に私達のグループからははずれました。
ある日のことです。漢字検定の練習の時、Oがたまたま一緒で例のOが慕っている先輩が居て
なのに、Oは先輩のことを無視していたので、とても心配になりました。
授業が終わり、先輩を待っていると、先輩はこちらにやってきて不機嫌な顔で「なに?」と私に言い放ちました。なにも、言えませんでした。
調子のいい話ですが、三年生になった時、その先輩は大学で不登校になったらしく
いきなり私にメールを送ってきて愛想よく話してきました。
孤独に突き落としたと思ったら、孤独につけいる。
自分が一人になったら、一人になっているものに話し、大丈夫になったらまた一人にする。
手口がよくわかり、笑いました。笑いながら、泣いて、「大丈夫ですよ~!」ってメールを送りました。
担任の先生に、「人付き合いがうまくいかないんです」と相談すると、「おまえはうまくやっていると思ったんだがなあ」と返し、それ以上は何も話すことなく終わりました。
他の先生も、私が漢字検定のテストを持ち運ばされている時、笑っていました。
家庭ですが、高校時から離婚寸前の家族でした。
父が精神病で働くことができず、ネット中毒に。そして母も、兄も、精神を病む。という具合でした。
父は論争ができない人だな、というイメージを持っていました。
いよいよ離婚となった時、私は大反対を示した時、怒りながら「お前、将来目指している職業でどれぐらい稼げるか知っているか?」と、謎の質問をされました。
結局、離婚は止められませんでした。
散々迷い、ようやく、夢を見つけ学校へ行かせてもらいました。
最初は快調でしたが、途中自律神経失調症になり、一年間寝たきり。ご飯も食べられませんでした。
頼りにしていた兄に泣きながら相談しても、きっと迷惑だったのでしょうね。
「いつかはみんな、いなくなるんだから」と、意味深なことを言われました。
家族も、友達も、味方じゃない。
そう悟った時、私は狂ったようにリストカットをしました。
当時は理解を求め、かかりつけの病院で、信頼している看護婦さんに「理解してもらおうとしたら…」と相談すると、苦笑されて「理解なんてされるわけがない」と返されました。
悩み、耐えられず兄に相談したところ「家族も所詮は他人」、「理解はされない」、「生きてください」と返され、家族も友も完全に信じられなくなりました。
今は、辛くなると学校の勉強を必死にするか、リストカットをしなければ、耐えられません。
家に帰ると、「理解されない」ということと過去の友達のOのトラウマで、気持ちが強く落ち込み
学校が終わってもブラブラと歩き回ります。叫びたくなります。
母や、もうひとりの兄は、慰めてくれるのに、それをなかなか信じることが出来ず、そんな自分が大嫌いになりまり。今日も、トラウマで辛くてリストカットをし、大泣きして、学校に行き、夜遅くまで歩いて帰ってきました。もう、家族の鼻摘み者もいいところだと、自分でもわかっています。
私が死ねば、生活費や狂った娘がいなくなってくれて助かるのはわかっているのですが
いざ包丁を持ってみると、なぜか刺せません。リストカットは、躊躇なく、深く、できるのに。
悔しいです。とっても、とっても、悔しいです。
家族への不信感、友達関係のトラウマ、もう、なにもかもから押しつぶされそうです。
長々と、申し訳ありませんでした。もしも、こんな駄文を読んでくれた方が居たら、ありがとうございます。
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