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10代後半 女性

何処にも言えないもういない母の話

visibility179 chat1 personさなぎ edit2024.07.16

見る人によっては不快な内容かもしれません。

私は小学校4年の時に母を亡くし、
今年20歳になりました。
母は突然死でした。
しかし今はもう悲しくもなんとも思えません。

ちょうど小4の年から母の様子は少し
おかしくなっていました。
(おかしくなった、と表現するのはあまり
快くないと思われるかもしれませんが、
他に良い表現が思いつかなかった為、
ご了承ください)
母との思い出はたくさんあるはずなのに
その頃の母の姿しか今は思い出せません。

当時父と母は共働きで
私は平日は母方の祖父母や父方の祖母に
預けられたり習い事に行って迎えを待ったりしていました。
平日の母は殆どおかしくなる前の母のままでした。

母と2人きりの時間が長い土日が苦痛でした。
母は殆どの時間部屋で動かずにいました。
喋りかけても冷たいような声色での
反応だったので私もそうなった母には
話しかけないようにしていました。
私は一人っ子で住んでいたところが
山に近かったことで外で遊べる友人もおらず、
1人で外に行くにも母に許可が必要だったので
結局家の中で1人で遊んでいました。

それ以上のことはあまり思い出せません。
思い出さないように脳が拒絶しているだけかも
しれません。
こうなる前は優しい母でした。
甘やかされて育った私には突然の豹変にしか
感じられず、ずっと怖かった。

母が亡くなる直前、私は父方の祖母に
預けられていました。
普段迎えに来るはずの時間になっても
来ず、連絡ひとつも来なかった。
かなり時間がたった頃に祖母に母から
連絡が来て、祖母が母の様子を見に行くと
言って、それから数時間待ちました。
その後戻ってきた祖母から母の心臓が止まって
病院に送られたことを聞かされました。
その日は祖母の家に泊まることになり
次の日に父から母が亡くなったことを
知らされました。

祖母の携帯から漏れて聞こえた
泣く母の声が最後に聞いた声でした。
あの時「もう無理」と言っていたような
気がします。


当時の私には分からなかったことが
歳を取るにつれてなんとなく
分かるようになっていました。

きっと母は限界だった。
父は当時仕事が忙しく家に帰ってくる頻度も
少なく、住んでいた周囲は人が少ない場所で
寂しいとか私には想像もできない色んな
感情で疲れてしまったんだと思います。
父の仕事は特殊だったので見る人が見れば
すぐバレてしまうので細かくは書きませんが
その仕事が家族のためにも色んな人のためにも
役に立ち支えになるものだと分かっていたのと
父は忙しいながら私との時間も大事に
してくれる人だったので、そういうものだと
思って寂しいとかはあまりありませんでした。

親子としては成り立っていても
夫婦としては成り立っていなかったのかも
しれません。
最早確認しようもないことを憶測しても
無意味なのは分かっています。
それでも色々と考えてしまいます。

正直、今の私には母との記憶は
思い出したくないものになっています。
邪推ばかりして母を嫌いになってしまう
気がして。

もう今までように私に接するのが疲れたなら
言って欲しかった。
そしたら私はもう優しい母を
期待しなくてよかった。
いつか元に戻るとかそんなこと
望まなくてよかった。

あなたを思い出すと頭が痛くなる。
苦しくなる。
楽しかった頃を思い出せる私はもういない。
せめて、嘘でもなんでも私を愛してくれていた
あなたを思い出せれば良かったのに。

話の着地点が分からなくなって
しまいましたのでここで終わりにさせて
頂きたいと思います。
長文、散文で申し訳ございませんでした。
相談でもなんでもなくてすみません。
きっと見ていて不快になった方も居ると思います。
こんな酷い非情なガキがいるもんだと
思ってください。
ただ、何処にも吐けなかった気持ちの
1部をここにさらけ出させて頂きました。
頭痛が増してきましたが
少しだけ軽くなれた気がします。
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