ただ話を聞いてほしい
休職からの復職にあたって。
visibility11 edit2025.11.24
私は勤続年数25年。いわばベテランという域に入り、仕事にも慣れ一時期(10年くらい前)
人を使う立場で働いていました。しかしながら、傲慢や驕りがあった当時の私は、口調が荒くなっても、出来ない部下に対しても全て自分がやればという思いで働いていました。その頃から、チームの和を乱しているのが自分だと認知できず、元々の言葉遣いも良くなかったためか、段々鬱の症状になり、一度休職(有休が使える範囲内)しました。休職前に通っていた心療内科は、不登校の生徒さんを多く扱われていたので、学校の優しい先生という感じでした。初めての心療内科という事もあり、こういうものだと思って事情を話し、鬱のお薬・睡眠薬・緊張による筋肉の縮みをほぐすお薬などを服用していました。ただ、休んで一週間もすれば、「いや自分は普通なのに何故休まなければ」と考え、医師の判断というより、自分の意思ですぐに復職し、復職すれば仕事の忙しさから通院を辞め薬を断ちました。鬱になった原因も自分の態度も変わらず復職してしまいました。これが大きな誤りでした。
そして現在、日勤→夜勤、現場→工場への異動に変わり、慣れない職場(社員とは面識があるが部下は外国人)で働く環境も量も大きく変わり、毎日が疲労困憊の状態で、かつ上司からの注意と執拗な拘束により集中力の散漫と失敗の連続が続き、また上司からの暴言や圧力により、二度目の休職という形になりました。以前の自分の裏表といいますか、自分と向き合う時間がしっかり取れたことで、約四か月の休職を経て復職という形で働いています。
以前通っていた心療内科とは違うところですが、すぐに完全という形ではなく、私の体調や精神面をおもんばかって、少しずつでいいから働くことに慣れなさいとお声をかけてくれております。
鬱とは違う心の病ではありますが、当時を思い出すと心臓が竦み上がるといいますか、胸が苦しくなったり、頭痛が未だにあるのも事実です。転職も考えたのですが、次が怖くて行けないというくらい対人に怯えている自分がいて、そのような中でも私に気遣ってくれる、優しい人たちがいる現場の方が働きやすいという判断になり、現在に至ります。
お薬と休職中に週2回は4時間以上歩く事や、模型を作る(集中力を高める)、ココトモを読み共感し自分の想いを言葉として残していくことを日課とすることで、医師に言わせれば順調にある程度(復職)回復ができたという事らしいです。
「対人ストレス」言葉で扱うなら簡単なことばではありますが、一種のPTSDのような強い怨嗟のような呪いのように、私の心は縛られたままです。ふとした瞬間に当時の記憶も呼び覚まされしんどくなる時もあります。同じ現場の方には抱かない感情も、他の現場の方に抱きまだ怖いという想いもあります。一言でいえば厄介な病とも言えますが、当時の自分を改め、人との関係を大事に、思いやりや気遣いを持って、自分にムリをさせない働き方を模索しながら働いていこうと思います。
長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
人それぞれに悩みがあって、吐き出す機会を失っていて辛いと思われてる方が少なからずいるという事を、ココトモで私は知りました。年齢も性別も関係なく。
皆さんの傷ついた心を少しでもほぐすことが出来たら嬉しく思います。嬉しいという感情すら欠けていた半年でしたが、皆さんの言葉一つ一つで、私の心もほぐれたことも回復の一つだったんだと気づきました。
皆さんに感謝を。「ありがとう」
もし何かに悩んでもやもやするなら、トピックを活用するのも良いと思います。的確なお返事が返せるかは分かりませんが、今私ができる精一杯の言葉で思いで向き合ってみたいと思います。そうすることで私自身を見つめなおすことが出来ますので。
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