一緒に対処を考えてほしい 提案は話をしっかり聞いてから
10代後半 男性

障害との付き合い方とこれからの人生

visibility30 chat0 personひで edit2026.01.13

私は「二分脊椎」と「水頭症」を持って生まれ、身体障害者手帳3級を所持しています。下半身の一部麻痺に加え、24時間おむつの着用が欠かせない「排泄障害」を抱えていますが、見た目には分かりにくいため、周囲の助けを借りずとも生活することができています。
人生の大きな転換点は、小学1年生の時でした。先生から障害の公表について尋ねられた際、私は自らの意志で「言わない」と決めました。誰かに強制されたわけではなく、「自分を隠してでも、みんなと同じように普通に生きたい」という、幼いながらも切実な願いからの決断でした。それ以来、周囲の環境に溶け込もうと自分なりに努めてきましたが、その状態を維持するために自分を消し、自分や皆に嘘を重ねてきたことで、最近では自分の感情をどこか遠くから眺めているような、第三者目線で捉えてしまうことが増えました。
友人や周囲の方からは「どこか他人行儀で、一線引いている感じがする」と言われることがあります。自分では失礼のないように、また波風を立てないようにと細心の注意を払ってきたつもりでしたが、それがかえって心の距離を作ってしまっていたのかもしれません。日常の些細な場面でも、例えば誰かを「好き」だと感じた際、それが心からの純粋な好意なのか、あるいは自分にとって都合の良い関係を求めているだけではないかと、自分の気持ちを素直に信じることができず戸惑いを感じることがありますが、これもあくまで一例に過ぎません。一見すると普通に生活できているように見えますが、その内側では、相手に本当の自分を知られることを恐れ、誰のことも心から信用できずにいました。当時の自分には、一つの嘘を背負い続けることの重さが、十分には分かっていなかったのだと思います。
今も心に深く残っている大切な記憶があります。それは小学生の頃、施設で一緒だったある友人のことです。彼は私と同じ病気を抱えていましたが、私よりも症状が重く、車椅子での生活に加え、合併症も多くありました。不自由なことが多いはずなのに、彼はいつも穏やかに笑い、散歩中に電車が通るだけで心から喜んでいました。私は彼よりも体が動く分だけ目線も高く、電車もよく見えていたはずなのに、あの子のように素直に笑うことができていない自分に、幼心にずっと突っかかるものを感じていました。ありのままの姿で明るく過ごしていた彼と、正体を隠して周囲の顔色を伺っている自分。条件としては恵まれているはずの私の方が、彼よりも幸せを感じられていない日常に、強い疑問を抱くようになりました。
この記憶は、今の私が「普通」という言葉への執着から離れ、自分の現実を認めた上で、本当の意味で身の丈に合った自分として歩んでいきたいと願う、大切な原点になっています。ふとした瞬間に過去の些細な発言を思い出しては「相手に嫌な思いをさせたのではないか」と延々と悩み続けたり、昔の嫌な記憶が不意に蘇ったりして自分を責めてしまうこともありますが、この先もずっと自分を隠し続け、本来の自分とは違う姿を保ちながら生きていくことには、もう限界を感じ始めています。
どうすれば、これまで抱えてきた孤独や、ふとした時に蘇る嫌な記憶に折り合いをつけ、自分の心を取り戻していけるでしょうか。自分勝手な悩みであることは自覚しておりますが、この行き詰まった状況から一歩踏み出す方法やこれからの生き方について助言して頂ければ幸いです。
ココトモYouTubeはじめました♪

このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するYouTubeチャンネルをはじめました。ぜひ応援&チャンネル登録いただけると嬉しいです(*´`)

YouTubeはこちら

コメント一覧

まだコメントがありません。

新しいコメントを投稿する

コメントをするにはログインまたは無料会員登録をしてください。

keyboard_arrow_up