一緒にお話したい
20代前半 女性

長くなってしまいました、ごめんなさい。助けてほしいです

visibility48 chat2 person edit2026.04.24

こんにちは、私は現在一浪している無職です。勉強のことと進路のこと、心のことで悩みがあります。
私はとても気分屋な上に怠惰で、1日10時間勉強することもあれば、気分が乗らず先延ばしにして一日中勉強しないことがあります。周りのコンプレックスと、おそらくですが、幼い頃からのくもんや英会話塾などによるカスのようなプライドもあり、自分では到底無理な早稲田の法学部を目指しています。現在の学力は日大法学部法曹コース合格で、こんなに馬鹿で分不相応ながらも滑り止めにしていたGMARCHにひっかからず、当たり前に落ちました。私は落ちたとき、多少のショックはありましたが、もう終わりだ、という感情はありませんでした。落ちるのが当たり前だと思っていたし、私はできるはずだ、というようなプライドがありながらも自分は馬鹿だと思う矛盾のような感情が入り混じっていたからです。
一方、私は元々、絵を描くのが好きで、絵を描くことだったら幼稚園の頃からずっと毎日長時間描き続けることが可能でした。そのおかげもあり、一般人の中では上手、ぐらいの絵を描くことができます。(あくまで一般人の中で、です)そのこともあり、美大出身の母や、その母に褒められるほど絵を描くのが上手だったが、浪人により挫折した父に美大を今から通うことも勧められました。私自身、絵を描いて暮らしていきたいです。ですが収入が不安定だと聞きます。私は多分、人に評価されたり、個展を開けたりするほど絵に才能があるわけではないのです。ただ絵が好きなだけなのです。おそらく、父や母から昔からお金に関して苦労している、という言葉(本当にそうだったのかはわかりません。父と母は私たち兄弟の為に、塾や習い事に行かせてくれていたから、そのこともあるのでしょう)をずっと聞き続けていたからでしょうか、お金の為に勉強しているのです。がめつく、お金や食が関することに対してほんの少しのずれも、イライラしてしまいます。そのぐらい、収入が大切なのです。それに加え、趣味を仕事にしたらその趣味さえも楽しくなくなってしまうのではないか、と思います。私が今生きているのは美しいものを見るためです。絵画にしろ、イラストにしろ、音楽にしろ人の要望にしろ綺麗なものが好きで、そのためと、母を悲しませないように、今までしてくれたことを無駄にさせないために生きています。死なないのは母の悲しみと今までにしてくれたことを防ぐため、そして痛いのが怖いということ、そしてわずかに芸術が自死の抑止力になっていると思います。妥協で生きていると思います。死ぬのではなく、周りから忘れられて、その場で存在をなかったことにできるのなら、もう昔に恐らく死んでいたぐらいにはあまり生きることが楽しくはありません。
芸術を楽しいと感じられなくなったら、そして、芸術に対して私の存在が否定されたら、芸術の中でも私の才能がないとわかったら、私はどうすればいいのでしょうか?私は芸術の大学をなめているわけではありませんし、芸術の大学に通う人々に憧れています。ですがどうしても、なぜか勉強に劣等感を感じてしまうのです。芸術の方面に進路を吹っ切ることもできず、勉強に無駄に高い大学を目標にしているのにもかかわらず、一生懸命になれないのです。
次に、私の心についてです。
私は1時間地元を歩くだけで疲れてしまいます。浪人する前からずっとです。誰か知り合いがいないか、周りから変な目で見られないか、歩き方はどうか、些細なことが気になります。横断歩道で車とかちあったとき、コミュニケーションが怖くて横断歩道を避けて遠回りしたり、老人や年少の子が危うげに階段を登っていたらずっとはらはらして目が離せないし、自転車が倒れていたら起こそうか、でも起こしたら私が倒したように見えるんじゃないかなと本当に意味のない思考が頭をぐるぐる回ります。家では母にささいなことを言われるだけでイライラして、泣いてしまいます。人に当たらないように(多分、それよりも自分の意思を伝えたことがないのでそれによって喧嘩が発生するのをさけるために)グッズを壊したり、以前は首を絞めたり頭を殴ったりしていました。爪は常に深爪でぼろぼろで、それがまた劣等感をあおります。その上わたしはデブ、とまではいかないがぽっちゃりとしていてさらに重い一重、顎が出ていて、下唇が非常に分厚く、綺麗な顔じゃないんです。私の友人は細くてとても綺麗な子で、この前一緒に振袖の試着会に行ったとき、笑顔で盛り上がりながらもずっと劣等感が腹の奥で煮えたぎっていました。街を歩くだけで自分の醜さや馬鹿さに劣等感があふれます。恐らく中学の時、おちゃらけ担当で、わりとクラスの中心人物だったのですが、担任に私を都合がいいときは笑いの出汁にするくせに一対一になると高圧的でわらうことは一回もなく、ほかの人と態度が露骨に違いました。担任は体育の先生で、わたしは水泳をやっていてもともと得意だったのですが、やめてデブになってから体を動かすこと、目立つこと、私のせいでグループが損をすることが怖くなり、運動そのものがとても怖かったです。そしてある日、急な下痢によってお腹が痛いです、トイレに行ってきてもいいでしょうか?と言ったら、てめぇなんで休み時間にいかねぇんだよ、てめぇのせいでみんなが遅れるんだよ、それでもいいなら行ってくれば?と言ってきて、そのまま我慢し、持久走で(生理用品をつけていたのもあって周りにバレなかったけれど、というか恐らく生理のせいで下痢になったけど)下痢を漏らしながら走りました。その他にもこのようなエピソードが結構あります。ひいきされてる子たちにはとても人気があって、その分嫌いな子たちには熱烈に嫌われているような先生でした。そのあと、受験期にコロナが流行り、うつったら受験できなくなるから学校を2週間休んだのですが、それは担任が全校朝会で話していた「受験休みは甘え、受験は団体戦だ。コロナ休みはずるく、卑怯だ」にあたり、さらに私がこのことは悪いのですが、私立の推薦で第一志望が合格したので第二志望をすっぽかしてしまいました。これは後輩の受験にかかわる、非常に最悪な行為であることはあとになって知りました。今でもそのことは一〇〇%私が悪いと思います。浦和一女に行った友人もそれをやろうとしていて、私が怒られたのを見てやめていましたが、一般常識だったのでしょう。第一志望の合格が判明したあと、報告しましたが、ほかの生徒に対しては握手をし、5分程度話をするのに対し、私のときは「あっそ。」といい、こちらに目もくれず、やりとり帳に記入をし続けていました。そのあと大勢のなかで私だけ呼び出され、薄暗い部屋の中第二志望すっぽかしの私のカスのような行為のことで一対一で怒鳴られ、2週間無視をされ続け、みんなの前でお前の家族もお前もおかしいよと言われました。そのあと2年生の時の担任だった人が私が怒られているのを見て心配してくれて、一緒に謝るのを手伝ってくれました。「センセイは私のことを心配してくれたのにごめんなさい。先生はこれからの私の将来のために怒ってくれて、ありがとうございました」と言いました。ごめんなさい、文字制限が来たので続きはコメントで書きます。ここまで読んでくださりありがとうございました。
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コメント一覧

  • refresh17分前
    20代前半 女性
    そう言ったら、先生は許してくれました。そのセンセイは1年、3年の時の担任でした。1年の際、態度はまあ普通に私にだけ冷たかったのですが、おちゃらけキャラだったこともあり、クラスで不登校だったことの交流を任されたりしていました。1年の際はおちゃらけキャラなこともありいじめに近いからかいをされて担任に相談しましたが、「お前の言うことはお前から聞いただけだから全てを信じることはできない。だが、やりとり帳(先生と生徒との交換日記)を読み上げたことは駄目だ。」と謎の部分で友人を叱ってくれました。その他に私の筆箱の中身をいないうちに机にばらまかれて今整理してるの!と怒られたり、教科書や筆箱の中身を床にばらまかれてくすくす笑って、拾いなよー笑と言われたことも、好きな男の子の興味を引くために私の私物(習字のお手本の名前プラスチックで名前が書かれた紙をはさんである)を引き裂かれたりそういうのは一切先生は触れず、やりとり帳だけに着目していました。又、授業中、私は騒いでいないのに、近くにいた絶世の美女が笑っていたのに私が授業中うるさいということにされていました。そのことでも若干注意されました。三年生の時は、一人の女の子に目をつけられました。その子は支援学級の妹が二人いて、おそらく多分ですが、本人にもなんならかの障害があったと思います。気分の浮き沈みが激しく、場を和ますために自虐したりしたらばっかじゃねぇの!!!!と笑いながら怒鳴ったりほかのこと私を見てくすくす笑ったり、1日に10回は私を罵倒する、ような子でした。体育祭で私は縄跳びに引っかかっていないのに、「大縄回すのすごかったよ!大変そうだったね、」と言ったら、「てめぇが引っかかりそうだったから疲れたんだよバカが」と低い声で睨まれました。私のせいで、誰かが損していたのいうのが私は結構こたえて、初めて学校で泣きました。
    その後修学旅行で一緒になり、彼女は気分が一日中悪く、私のドジのせいもあって、一日中罵倒され続けました。一生懸命早くご飯を食べても遅いとキレられました。(当時、給食でもなるべく音を立てないように、顔が汚くないように、ほおを膨らませず、咀嚼音を立てず、鼻息を出さず、なるべく息をしないように食べるという結構意味わかんない状態だったこともあり、人前でご飯を食べることが苦手だったのです。)なのに芸能人かなんかの神社の際にはうっきうきで回っていました。車酔いがひどく、新幹線でも酔っていて、酔い止めは効いたことがなかったので諦めて飲みませんでした。これは私が悪いです。タクシーで移動する際に、吐きそうな中、耳元でずっとキンキンした声で1時間罵倒され続け、死にたくなりました。班行動のその子以外の男女は優しかったのですが、その子は結構腫れ物扱いで、男子2人はずんずん前へ進み、1人の男子がが女子と男子の間を中継するために歩き、私が一女に行った友人とその子の間をいき来し機嫌を取り持っていました。お刺身を食べていてわさびがつーんとしたらぶりっ子かよと言われました。これは私が悪いですが、班行動ごとに配られる袋に貴重品をいれるのですが、私の財布だけ口が緩んでいたようで、私の小銭が袋のなかで5枚ほど転がっており、そのことでひとがごったえすフロアで罵倒され続けました。その際に、2年生の時の担任だった人が「こいつは良いやつなんだよ、まあそう言うなよ。」と庇ってくれなかったら、私は泣いていました。
    これが3日続くのです。最終日、もうメンタルがぼろぼろになり、けれど帰ることも、担任に相談することもできず、朝起きた瞬間から泣きそうでした。旅館特有の窓辺のスペースで時計の針の秒針をながめてなんとか守っていました。その私の姿を見て、その子は、「あいつ何?wwwたそがれてるよwww」と笑ってきました。部屋には仲いい子1人、話したことがあまりないうえに怖い2人と一緒だったので、言うこともできませんでした。地元に帰って、その部屋の仲いい子と歩いてるとき涙が出てきて、泣いてしまいました。お母さんに泣きながら帰って、とても申し訳なかったです。
    今でも夢に出てきます。勉強してると思い出します。何をしても時折私がしてしまったこと、傷つけてしまったこと、されたことが頭をぐるぐるよぎります。母には私がやりたいことを伝えたことは多分ないのです。母が喜びそうなことを言うだけです。幼い頃、母は子供を育てるのに疲れていました。父は子供がかわいいが、世話をせず、自分のことを第一に、めんどくさがりやなひとだったし、父方の祖母は私ではなく父の姉の子をひどく可愛がり、味方が少なかったこともあるのでしょう。そんな中、唯一の趣味だった宇宙飛行士の女性の演説がありました。母は高めのお金を払って、私を連れて行ってくれました。母はひどく嬉しそうで、私も嬉しかったのを覚えています。当日行ったら、老人に無料チケットを配りまくっていたことが発覚し、私たち以外は老人でした。母はその時点で、うっすら悔しかったのでしょう。ですが私にはにこやかに接してくれました。問題はその後です。席は完全な自由席で、並んでいる順にはいるものでした。2人分の席を取ったあと、母は私に前方に空いている席があるので、それが座れるかどうか確認してきてくれない?と言ってきました。私は席にいきました。当日、一般人が座っていい席なのか分かりませんでした。ですがこんなにきれいに1列に空いているのはおかしい、けれど座っていいのかも?と色々考え、母に分からない、というようなジェスチャーを取ると、母がこちらへ近づいてきました。そしてその席が関係者席だと気づきました。母と私が引き返した瞬間、目の前でおじいさんとおばあさんに元々座っていた席を取られました。周りを見ると、席がなくなっていました。立つスペースがあるよ、そこにと思いましたが、母は泣き出しました。そして私に怒鳴りました。駅でもずっと怒られ、私は母と泣きながら家まで帰りました。玄関に着いた瞬間、母は持っていた傘を地面にたたきつけ始め、傘を折りました。私は母が悲しそうで、私は怒られたことよりも、私のせいで壊したんだと思い、今でも鮮明に覚えています。
    私は昔祖母に優しくしていたのに、もうできません。他人としてしか思えないのです。好きなのにそう思ってしまうのです。優しくしたいです。傷ついてほしくないし、私を空いてくれているのに、ひどいことだとわかっているけど、もう優しくする気力ができないのです。膝が悪いので手を貸したり、にこやかに接したりはできます。ですがもう、昔のように笑えないのです。弟は昔から癇癪持ちでトラブルが多く、私が尻拭いに回ったりしていました。ものを破壊したり怒鳴ったり、死ねと両親に言ったり口汚くののしったり、プライドが高いくせに繊細で、父が弟を殺すのではないか、弟が母を殺すのではないか、きがきでありませんでした。母を殺してしまう前に、私が弟を殺そうと思ったこともあります。腕を折ろうとしたこともあります。けれど弟が怖いのです。今でも彼に見下されます。性格悪いね、と言われたりします。そのことは兄弟なら普通なのでしょうが、私は萎縮して本人に言い返せないのです。あの軽蔑するような目が私は怖い。下に続きます

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