ありのままでいいんだな。

生きる価値がないとか、生きる意味とか、そーゆーの探してる人は沢山いる。

自分は何もしていない

何も貢献できない

何も出来ない

何も能力がない

毎日出来ないことばかり指摘されて、自覚しているくらい頑張っていても、自分が成し遂げていることがあったとしても

誰からも褒められずに、ただひたすらダメなところや、欠点ばかり責められることもある。

誰も認めてくれなくて、そこにいる意味も頑張る価値も何も感じない。

そんな時、死にたいと感じるのは至極当然のことであって。

今日、軽井沢高原協会のホームページを見る機会があって、そこに載っている言葉に感動した。

『あなたが生まれた時、ただ泣くだけで、何もしなくても、周りは誕生を喜び、ただそこにいるだけで愛された』

ココトモは、親とうまくいかなかったり、辛い思いをしている人が多いから、この言葉を話すことが良いかどうかは分からないけど。

かく言う私も、親と仲が良いかとか、信用しているか?なんて聞かれれば、NOと言うしかない、今は。

でも、赤ちゃんの時、『自分はそこにいて泣いてるだけで何もしていない』と落ち込むことなんて当たり前だけどない。

考える力や自我なんてまだないから、と言われて仕舞えば確かにそれまでだけど、でも、生まれた直後はそんなこと考えない。

生きるのに精一杯で、生きようとしていること自体に意味があって価値があった。

それは、私だけではなくて、他のどんな人もそうだった。

大人になるにつれて、いつしか、色々なことが出来なきゃいけないと思うようになったし、色々なことが出来るようにならなければ、価値がないと思うようになった。

それは、周りにも言われることで、出来ないことを認めてくれる人もいないし、自分でそれを良しとすることも、時が経てば経つほど難しくなる。

人に気を遣えないなんて、大人としてどうなの?

こんなことも出来ないなんて、社会人としてどうなの?

これ位耐えないと、どこへ行っても生きていけないよ?

『沢山のことが出来なければ、本当に生きていけないの?』

『生きてるだけ、それだけでも価値があって立派だったんじゃないの?それは生まれた時だけの話?』

そりゃ、分かるよ。大人になるなら、勉強できて、周りを見て、先読みして動いてさ、仕事出来て、家族養って…義務があってさ、やれることが多くなきゃ意味がないかもしれないよね。社会からして見たら。

でも、本当にそうなの?それが正解なの?違う見方を、たまにはしても良いんじゃないの?

悲しくなる。そもそも生まれた時そうだったのに、大人になったから、出来なきゃ生きてる価値がないとか、意味がないとか、ない気がする。

ホームページに書いてある通り、昔も今も、生きる価値も生きる意味も、きちんと備わっている。

『成長』故に、それを忘れていく。もっと高みを目指す代わりに、高みにいなければ無意味だと思うようになるのかもしれない。

周りがいくら『もっとさぁ…』なんて言ったとしても、それでもね。

生きてるだけで価値がある。

そんな風に、原点回帰しても良いと思う。

と言うより、せめて言ってくれる人が周りにいないなら、自分だけでもそれを認めてあげて欲しい。

生まれた時、確かに心臓が動き、泣いてるだけでも価値があったんだから。

今価値がないわけないんじゃないか?って。

私は、とりあえず落ち込んだ時に、これから原点回帰して、無価値だとは思わないようにしようと思いました。

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