愛されたい気持ち、そしてお金への捉え方のお話。
edit2017.10.25 1,295
最近思ったことをつらつらと…
以前書いたブログがある。
https://kokotomo.com/169481/
これは、祖母のこと書いたブログだ。
それについて、同じく看板スタッフであるのんさんに
『オハナさんは、こういう愛情を求めてる。愛されたい、可愛いと言われたい、と。』みたいなことを言われた。
言われて、ハッとした。
学生時代って、恋にも結婚にも未来にも、恋人にも、憧れを抱く。
『永遠の愛って素敵!!』
『優しい旦那さんに一途に愛されて、子供にも恵まれて、ずっと仲良く生きていくの!!』
でも、学生時代もしくは小さい頃に抱いたそんな夢は、叶わないことが多い、もしくはそんな憧れが打ち砕かれる機会が多い。
周りからも『そんな夢物語無理だよ〜。そんなんないよ〜』と言われる。
それが、まぁ常である。
そして、現実であり、事実でもある。
が、私は花とゆめの世界で生きているところがなんか昔からあった。
でも、親からの愛を一身に感じたか?と言われれば本当でもあり嘘でもある。
恋人からも、昔確かに愛は貰ったけど、終わり方はいつも同じ。
『あぁ、あの人はやっぱり自分が1番大事なんだな…』
今でこそ、自分を大切にすることの尊さが分かるから、自分を大切にすることは決して悪いことではないと思う。
でも、誰かに、異性に、恋愛として、はたまた結婚として愛されるなら、女である以上(女も千差万別ですがね)やっぱり、誰かに一途に愛してもらいたい。
可愛いと言われたい。
そんな願望が、夢がある。
祖母の死は、それを強く感じさせる出来事であり、それを強く切望している自分を浮き彫りにさせる出来事だった。
異性としてではなくとも、肉親として、その愛情を、注いでくれた存在がこの世からいなくなった。
恋愛もうまくいってなかった私にとって、それは唯一無二だと、可愛い存在だと言ってくれた人がこの世からいなくなり、もうこの先そんな人は現れないのではないか?という恐れや疑問、ある意味で確信であり、自分にそう思い込ませる出来事だった。
理想が叶わない、祖母が愛してくれた最後の人ではないか?
何となくそんな気持ちになりながらも、どこかで、『もしでも、そんな素敵な人が現れたら…』と感じたけど、そんな夢を抱いている自分をどこか現実離れした恥ずかしい者だとも思っていた。
今回、指摘されたことで、『私は愛されたいという想いや、夢を持っているんだな』ということが分かったし、そういう視点で恋愛や、結婚などのその先を見ているんだと思った。
愛されたい自分を自覚した時は、なんとも言えない気分だった。
恥ずかしいような気もする、なんか修正したほうが良い気もした。
でも、愛されたくない女になりたいか?と言われるとそれも疑問だった。
それってなんだか、強がって、頑張ってる人のイメージ。もう頑張りたくない私にとっては、そうなるのもなんか違う気がした…。
なんとなくだけどむしろ、愛されたいと願う女の子は、可愛い子が多いような気さえした。
言いたいことがうまくまとまらなくて申し訳ないけど、このままめんどくさいかもだけど、恥ずかしい気もするけど、愛されたい女の感覚を持ったまま生きてみようと何となく思った。
あとは、お金の価値観。
親との関係、お金との兼ね合い。
何度かブログに書いて来たけど、今日思ったことがある。
お金を稼ぐこと!と思うと、疲れる自分がいた。
これは、6月に対面相談をしながら、『これで生活しているわけではないけど、カウンセラーというやりたいことしながら、チャレトモの活動しながら、こうして過ごしていることって最高だな!』と思った。
〜円という結果に拘らずに生きることは、私にとって何とも言えない幸福感と安心感を、与えた。
でも、稼がない自分で良いのか、それも心のどこかに疑問があった。
生活していけるの?どうするの?
そんな気持ちがどこかにはやっぱり渦巻いていた。
でも、ツイッターやらなんやらで、お金という対価ではなく、信頼というもので生活していく方法を知った。
自分の行動が、例えば食べ物だったり、いざという時のセーフティネットを果たす。
そこに通うのは、その人とのご縁であり、信頼であり…そんな生き方をしている人を見た時、非現実的な感覚、衝撃的な感覚を抱きながらも、非常に惹かれた。
税金として翌年返ってくることもないし、何より心宿る人の方が、私は安心感を覚えた。
物ではなく感情をかわしながら、誰かをカウンセリングしたりその他自分に出来ることをしながら、一緒に生きていくような感じ。
そんな生き方に憧れながらも、『いやでも私には無理だろう』そんな風に思った。
今は仕事を始めているので、カウンセリングはほとんどやっていない。でもそれは、私が『非現実的な生き方』を自分に認めていなかったから起こっていることな気がした。
その生き方にワクワクしたなら、許可してみたら良い。そっちの方向に行ってみたら良い。
そんなことを自分に許してあげた。
そうしてもう1つ気付いたこと。
それは、税金やらお金やら、自分が苦労したという事実が勘違いだと分かったこと。
確かに、苦労していない訳ではない。夏は困窮した。今も一般的視点から見たら、多分困窮している。
でも、私は何か支払えなくなった訳ではない。土壇場で親に助けてもらえたラッキー者とも言える。
職場から追い出されるように退職した時も、貯金がなかったわけでもないし、失業保険もすぐ入った、と言うかそのように助けてくれた人がいた。
それも幸運だ。
そんな私がお金がある状態を何度か経て、お金があることに満足したから、今はもう『お金』を通わせて得るものよりも、違う生き方に目線が向いている。
そんな気がした。
お金で得るものは充分得たし、買うことによって満足した感覚も味わっている。人間関係とお金の関係もいい事も悪いことも経験した。
全てを知っているわけでは勿論ない。
でも私は、充分満たされて自由にさせてもらった。
それはありがたいことで、きっと何だかんだ親にも感謝すべきことな気がする。
だから、今の結論に辿り着いたんだと思う。
お金が嫌いとか、そーゆーのではなかった。
満足したんだ、そう思った。
月収100万、1000万の世界なんて、別に味わったことはないけれど…
変な話。『それと同じ位、その気になること位』なら出来るのかもしれない。
満たされた気持ちになることに、お金は必ずしも必要ではない。
捉え方や感じ方、価値観の問題だと思う。
お金の重要性、大切さは勿論否定しない。
でも、とことん常識やセオリーに沿って歩めない、珍しいもの、新しいもの、面白い価値観や生き方にどこかいつも惹かれてしまう私は、違うみたい。
そりゃあ、常識に沿って生きていけるなら、そうしたかったけど、どうも拒否反応が起こることが多いので…。
周りから『何言ってんの?』と言われても、ワクワクする方向へ、生き方へ、そういう選択肢を取っていこうと思います。
そうしないと、結構色々と、うまくいかないんだよね、やっぱり。
その選択肢を取ったからと言って死ぬ訳じゃない。
やってみないと、分からない。
自分が、自分らしいと思う方向へ、試しに行ってみようと思います。
失敗すればネタ、成功してもネタ、ってね。
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