傷つかない、裏切られない、そんな方法。
visibility1,848 edit2018.07.02
凄い魔法みたいなこと言ってるタイトルかもしれない。
でも、そんな方法では、実はないんです笑
嘘を言いたい訳ではなくて…。
傷ついたとか、裏切られたとか…
自分で思う事はこれまでも今も沢山あって、周りからもよく話を聞くことが多くて…
最近、傷ついた記憶を、数ヶ月経って人に話すことが増えて。
それを踏まえながら、『傷つく』とか『裏切られる』とかについて、深く深く考えてみて。
凄い嫌な状況に追い込まれても、その人を責めない、なんか凄い人だなぁと思う人に接して。
んで、その人を通じて、その他の自分や自分と同じように『裏切られた気分』を味わった人を見て。
思ったんです。
傷つきも裏切られも、決してしない考え方か、生き方があると。
それは、『裏切られても傷つけられても良い』と思える覚悟をすること。
人は人と分かり合えないし、自己中だし、自分のことを傷つけるし、裏切りもする。
でも、そんな事をした本人が、本当にそうしようとすることは実際ほとんどなくて、悪意があることなどほとんどなくて、悔しいくらいすぐにそんなことは忘れていて。
ひたすら、ただ独り、自分の記憶にだけその件は刻まれている。
恨みにしか残らなかったりする。
でも、唯一救いなのは、裏切られたも傷つけられたも、『主観』であって、そう思うことは自分の自由なのだ。
その事実をどう捉えるのかも自由であって、傷つけられたと思うことも、向こうが勝手にやったことで自分が1ミリも傷つけられてないと思うことも、アイツ最低だったと知ることが出来て良かったと捉えることも自由。
今回の件で、お別れする決断が出来て良かったと思うことも自由。
と、ここまでは『嫌だったけれど、自分の糧になった』と捉える方法だったけれど。
もっと言うと、そんな事を思う必要がないくらいの境地に行くと…
相手がどうしようと、どんな良いこと、悪いことを自分にしてこようとも、どんな影響を及ぼそうとも、
『人は優しい』と思えるようになる。
傷ついた、と思うのは、傷つきたくないからだ。
裏切られたと思うことは、裏切られたくないからだ。
傷つきたくなければ、自分を傷つけない人を探す。
裏切られたくない時は、裏切らない人を探す。
それは、傷つける部分、裏切る部分、それを相手の中に探すことと同じだ。
そう生きて行くと、必ず相手の中に『そんなところ』を見つけることに繋がっていく。
私は今年、『独りになってみよう』と決心した。
そんな決断に、ぶっちゃけワクワクした。
だって、独りなろうとすれば、独りじゃない証拠がどんどん出てくると分かっていたから。
独りだと思えば思うほど、とても些細な出会いや、お店の接客でさえも、『誰かと接した、誰かとご縁があった』と思える。だって、独りだと『人と話す』ことはそもそも出来ないのだから。
それと同じ、と説明して通じるかどうかは分からないけれど、『〜されたくない』『〜したくない』など、『自分がいかに損したくないか?』みたいな目線で物事を見ると、必ずそのネガティブな『マッチする』ものに出会う。
人って、悪いもの見つけるのは、誰だって得意だから。
損することは、目に付きやすい。
だから、敢えてその損をして『当たり前』みたいな精神でいると、逆に『損しないことが珍しい』と思えるから、良い方に目が行きやすい。
そして、不快な思いしても大丈夫だと思えるから、生きやすくなる(気がする)。
傷つけられることない、裏切られることもない、そんな生き方は、『不快な気持ちになる覚悟』だ。
その覚悟をすると、それはやがて『人を信じる覚悟』になっていく。
嫌な気持ちにもなるけど、やっぱり人は優しい。信じられる存在だと、思える。
それは、自分が人を受け容れる覚悟が出来た時に、思えること。
そうすると、嫌な出来事があっても、その人とまた連絡を取り合ったり、恨みや憎しみを持たなくて済む。
これが、自然に出来る人もいれば、傷ついた裏切られた経験を重ねて、最後の方にやっと思える人もいるし、誰といても傷ついたり裏切られることを恐れる人もいる。
私だって、傷つきたくないし、裏切られたくない。
でも、そう思うことは日常茶飯事だ。(とゆーか、過去を思い出して、何度も傷つけられた気分、裏切られた気分になる、と言った方が正しいけれど…)
出来るならそんな思いをしたくない。ポジディブな捉え方がいつも出来るといいけど、多分本当に大切なのは、ポジティブな捉え方がどう出来るか?ではなく、『それでも私は、人を信じたい』と最後に思えるかどうかだ。
それでも人は優しい。
嫌な気分になっても、その相手とその後仲良く出来なくても、最後にこの感覚に持っていければ、幸せなんじゃないかと思う。
この話した覚悟は、自分で自分自身を守る覚悟だ。
私は私で守れるから、傷つけられることも裏切られることもない。だから、誰と接しても大丈夫だよ。
そんな、自分への誓いのような気がする。
万人を信じる必要はなくて、本当に嫌だと思う人間に無理に思う必要はなく、その人と付き合って行くこともしなくて良い。
でも、嫌な人だとしても『まぁいんじゃない?それぞれの人生だし。』とサラッと思いを手放して、自分が大切にしたい人は、『信じたい』とか『守りたい』と思えたら、
それは幸せなことなんじゃないかなぁ?と思います。
この覚悟、偉そうに書いておきながら、私も気づいたのはつい最近で、全然出来てなくて、、、
ムカつくこと、覚えてること、恨んでること、たーーーーーっくさんあります!!!!
同じことずーっと言ってんなぁとか、本人にぶつけてやりたいとか思います。
別に、ぶつかる時が来たら言っても良いと思ってるし、言わずに離れても良いと思ってる。
どちらでも良い。
でもそんな嫌な経験を死ぬほどしても、『それでも人は優しい』と思いたいなぁと思います。
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