真面目なのは悪いことか?という悩み

近況報告

こんばんは。わしゅーです。

すっかり暑くなり、体調を崩しやすい季節になりました。食欲が落ちたり、うまく眠れなかったりすると、疲れがとれず、知らず知らずのうちに、気分が落ちこんでしまいます。

心身とも健康な人であれば、多少の調子の悪さですみますが、うつ病を患っていたり、普段からストレス過多な人であると、この時期の落ちこみが、大きく響いてしまうことがあります。

食事をしっかりとって、なるべく早く床につくように、心掛けたいものです。

「真面目」のイメージ

さて、みなさんは、「真面目」というと、どういうイメージを持つでしょうか。

 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「―な顔」「―に話をする」

 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「―な人柄」「―に暮らす」

ー 出典:デジタル大辞泉(小学館)

真面目な人は、義務をしっかりとこなし、ずるいところがなく、一歩一歩前に進む、そんなイメージがあります。

本来は、たいへん良い意味であり、真面目というのは長所のはずですが、最近は、悪い意味で使われること、短所として捉えられることが、多い気がします。

なんとなく、「要領が悪い」「手を抜けない」「コミュニケーション能力がない」「空気を読めない」、、そんな人を指す言葉になっていないでしょうか。

真面目は悪いことか?

なぜ、真面目であることが、短所になってしまうのでしょうか。

おそらく、日本という社会が、成長・拡大の段階から、縮小の段階に入ったことと、無縁ではないと思います。

社会が拡大しているときは、新しいビジネスがたくさん立ちあがり、新しい仕組みがどんどんできてきます。社会全体が成長しているので、しっかり仕組みを作りさえすれば、ある程度の成功が保証されています。

こういう段階では、社会は真面目に働く人をたくさん必要とします。とにかく新しい仕組みを、たくさん作らなければいけないからです。

しかし、社会が一転して縮小しはじめると、いままで、全員がある程度成功していたものが、弱いところから、徐々に脱落していくことになります。

そういう段階では、皆、脱落しまいと必死になります。真面目に努力していても、脱落してしまうとなれば、一発逆転で、多少ズルくても、うまいことやって、助かろうとする。そうすると、「真面目なだけではダメだ」となってしまうんだろうと思います。

「真面目」が必要な場面はたくさんある

しかし、社会の全員が、一発逆転を狙って、多少ズルくても、、みたいなことを考えはじめてしまうと、社会がおかしくなってしまう。

社会が縮小しはじめたといっても、社会を支える根本の仕組みというものが、いきなり価値がなくなってしまうわけではない。根本の仕組みを支える人というのは、あいかわらず沢山必要とされている。

そういうところでは、前と変わらず、真面目であることが、長所であるはずです。

しかし、そういうところは、なかなか目立ちません。すでに出来上がっているものというのは、「あって当たり前」であって、ことさらその大事さが、注目されることは、あまりないからです。

どうしても、一発逆転のような、派手な物語のほうが、人の目に止まりやすい。だから、真面目なことが短所になってしまうような場面が、頭に残ってしまうのでしょう。

自分の長所が生きる場をみつける

「真面目」なことは、その人が属する場によって、長所にも短所にもなる、ということです。

人間の価値は相対的なものであって、絶対的に、いつでも価値がある人というのはいません。生き生きと長所を生かしている人は、かならず、そういう環境に属している。

自分が「良い」とされる環境を見つける努力は、やる価値はあるのだろうと思います。

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