母の心臓手術が失敗した「目的」

先週のこと。

母の心臓手術が失敗した。

母は、73歳だか、現役のケアマネジャーとして働いている。

たまに脈が不安定になり、調子が悪くなることがあったので、

父が3年前に手術を受け、劇的に体調が良くなったアブレーション手術を受けることにした。

成功率も極めて高いので本人も家族も、気軽に構えていた。

しかし、手術は失敗。

手術の際に針が心臓の壁を傷つけてしまい、

出血が止まらない。止血したものの、心臓の周りの血を抜くなど大事に。

結果、一命は取り留めたが、ICUで経過観察へ。

もちろんアブレーション手術は中止。

不調を改善するための手術がまさかこんなことになるとは…。

最初は病院への怒りなど沸いたが、

成功するはずの心臓手術が失敗したということは

母、そして私の中で「埋まっている信じ込み」が

まだあるからではないかと頭を過ぎった。

 

私から見た母の印象は

家族や仕事先の利用者さん達のために頑張って

いつも夜はぐったり。どこか疲れた印象だった。

そんな母の背景は何か、どんな信じ込みがあるか

母になりきって考えてみた。

母は田舎の島国の出身で、4人姉と1人弟がいる6人姉妹。

祖父母は後継ぎが欲しくて5人女子を産んで、最後に男子が産まれ、母はその5人目の女子だった。

どこからともなく「男の子じゃなくて残念だった」

そんな声が聞こえた。

そして、そんな自分も存在することが認められるために

「頑張らなくてはいけない」

そんな気持ちが沸いてきた。

まさに幼い頃から外見のコンプレックスから

周りの評価が得られるよう「頑張らなくてはいけない」

と思っていた私自身の感覚と同じだった。

今回の手術前に以前から母は、

手術したら孫と田舎に旅行に行こう

手術したら○○しようと言っていたが

どこかに「何か欠けている」感覚を感じていた。

今回の手術の失敗は、母そして私の、

そんな感覚を気づかせるためのものだったかもしれない。

そのとき、ふと三日月が思い浮かんだ。

三日月は

「欠けている」からこそ美しい。

満月とはまた違う情緒がある。

欠けているからこそ醸し出す情緒があるのだ。

そして、三日月は三日月のままで充分美しい。

そして、「自分の悦び」も、

自分には今ない何かを探しがちだが、

実は長らく取り組んできたことや、

親しんできたものにあり、

今まさに、誰かのためや、誰かの基準ではない

「自分の悦び」は何かをハッキリする時ではないか、

それを母の手術が教えてくれたのだ。

この気づきは母にも伝わっただろうか、そんな想いを知ってか知らずか旦那が一言。

「お母さんは、これで長生きするはずだよ」

手術の失敗など困難を乗り越えると人は一段と強くなり、長生きするとのこと。

そうだ、きっと母も

すでに自身が素晴らしいことや自分の悦びに気づき始めているような気がした。

 

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