人を見る目を養わなければ、私は生きていけなかった、のかも?
visibility1,485 edit2015.11.21
私の両親の話を今まで何度か話しましたが、父は酒癖が悪く短気です。あとは子供っぽかった、良い意味でも悪い意味でも。
『これ、今日お父さんが作ったんだよ〜♡』なんて言う時には、(自分が作ったん料理を褒めて)という遠回しな欲求が隠されています。今もこれは日常茶飯事。ここはここで可愛らしく見えて良いのです。たまに【小学二年生か!?】とつっこみたくなる。
ドアの開ける音で機嫌が分かります。
朝の挨拶、階段を降りる音、足音で機嫌が分かります。
機嫌が雰囲気に出る人です。
母親も、『おかえり』のトーンと表情が完全にリンクしてて、落ち込んでるのか機嫌が悪いのか一瞬で分かる人です。
仕事で疲れてても、落ち込んで鬱っぽくなる母親の相手をしたり、父親の苛立ちを受けたりするのは辛かった。
一般論だけど、1番子供が安心出来ない親は『期限の良し悪しが激しい親』らしいです。
賛否両論だけど、機嫌がいつも良い、と、機嫌がいつも悪い、よりも、機嫌が不安定、って親が1番危ないらしい。
んなこと言ったって、人間だもの。いつもニコニコしてらんないよね。この見解がどうなのかは不明です。
で、本題。
こんな親なので、私は昔しから自己防衛の為もあって、100人いたら100人の顔色と機嫌を測るタイプです。
もう無意識ですね。
人の顔色を伺う事も機嫌をとる事も、私にとっては生きていくのに大事なことでした。
だから、人を読むことについては昔から鍛えられた。
大学時代のアパレルでも、社会人になってからもずっとそうで、それが逆に仕事の強みになったことも何度かありました。
特にアパレルの時はそうだった、のだが。
実はもっと前に鍛えられた時代があったんです。
それは、高校時代の放送部。
実は引退直前辺りの1年くらいは大嫌いで、しょうがなく所属してました。
引退してから少し経って、連絡先はほぼ全員消して今は誰も知りません。
そんな放送部、とても大変で終電を逃した事もありました。
していたのは校内放送たまに、NHKコンクール出品、埼玉テレビからのドキュメントオファー一回、です。
特にNHKコンクールは毎年夏前、地獄です。家に帰れません。動きもしないで黙々作業のこともあり、とにかくデブりましたね。
ドキュメント作るときは街頭インタビューが常。カメラマン、インタビュアー、録音係、などなど。
大宮とか浦和とか大きな駅前に繰り出しては朝からインタビューしてました。
そして気付いた、インタビュアーをよくしていたのは、私でした。
その頃も人見知りは全くなく、ガンガン人を見つけては高校名と部活名と名目言ってインタビューのお願い、断られて次探すの繰り返し。
インタビューって、人の顔色伺うんですよね。
話しかけても大丈夫そうなのか。
見た目、雰囲気、時間がありそうかなさそうか、いる場所など色々瞬時に判断して決めます。
知らない人に話しかけに行くのが楽しかったのは、既に高校時代からでした。
色々な人に答えてもらった昔が懐かしい。
ちなみに、私の本職はミキサーでした。
音響係。
体育祭であゆをかけまくった時、3000人の体育祭の音楽を自分が支配していることに酔いしれた高校2年の秋(笑)
好きなあゆを部室でかけたり、MDに音楽落とすのを部室でやっちゃったり、とにかくそれは楽しかった(笑)
話逸れたけど、インタビュアー時代は、思えば知らない間にかなり鍛えられたんだと知りました。
接客業に欠かせないことを、高校時代に教わってたんだと思うと、ありがたいです。
そして書いていて正に今気付いたんだけど。
今の仕事を選ぶ前に、ゾノさんとかオルガンさんに勧められた仕事が
・ライティングの仕事
・インタビュアーの仕事
・オーガニック食品とか飲食の仕事
だったんだけど、今してるのはライティングの仕事。
インタビュアーとかは経験ないとか思ってたけど、実は高校時代にやってたらしいですね私。
飲食は居酒屋でもあったし、アロマショップでも食品は扱った。
そう、私は上記3つを全て現在に至るまで経験していたのです。
ビックリ。
人生何がどうなるか分かりませんね。
今まで否定してきた人生で、もう得るものは充分得たんだろと思います。
今後は、得たものを分かりやすくアウトプットしていけるように、色々工夫していくのが目標です。
気付きをくれたゾノさんとオルガンさん含め、支えてくれている色々な人達に、心から感謝したい♡
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