期待と重圧と。(さやはの病み期)
edit2016.04.09 1,454
みなさん、こんにちは!さやはです。
前に私のブログ「さやはの恋愛の悩みの吐露」
↑私のミスで消してました笑 ごめんなさい。
私のブログにてこたっちゃんさんから彼氏には期待することをやめました。というコメントをもらいました。これを見て「期待か…」と少し思わされましたので、今日は期待について書いてみようかなと思います。(こたっちゃんさんありがとう!)
まず、期待という意味について。期待とは「将来そのことが実現すればいいと、当てにして待ち設けること。」と、広辞苑第6版には書いてありました。期待とは自分がこうなればいい、こうすればいいのになという欲の表れですね。期待は自分自身がよいことに巡り合えるように願うこと。自分自身がよい方向へ導かれると願うこと。
たしかに、こたっちゃんさんに言われた通り、私は過度の期待をしていたのかもしれませんね。その期待は内に秘めていました。決して口には出さずに、こうは絶対にならないだろうと頭ではわかっておきながら心のどこかで思ってしまう。心のどこかでは期待をしてしまう。人間の性なのかもしれません。口に出さないとすべてが始まらないのに。伝えないと自分が苦しくなるだけなのに。
期待というものには重圧も比例してかかってきます。
こうなればいいのに。という他人からの期待。受験のプレッシャー、友人からの眼差し。全てを決め、すべてを最終的に行うのは自分なのに、どうしてあーだこーだ言われないといけないのか。
みなさんはこんな経験はありませんか?
私は自分で内に期待をして、それが重圧になって自分を苦しめて自分自身で自爆をするタイプです。発散という言葉がなく、時間がたてばなれるだろう。この人たちはこういう人間で、私とは違うんだから考え方も違うんだという固定概念によくとらわれて、勝手に自分で納得させていることが多々あります。
でも結局自爆して自分自身を苦しめる。
私のストレス発散は本当は友達に洗いざらい話を聞いてもらうことですが、それもできていません笑 なぜなら、期待で返答されるから。こんな話を友達にすると必ずアドバイスで返されます。それは友達が私を思ってこうなればいいという期待を寄せるから、私は本当は話を聞いてもらえればそれでいいのですが、必ずアドバイスされるので笑 アドバイスを受けるために話をするわけじゃないですし、友達といえど、赤の他人なのは明白です。自分を同じクローンのような人間は誰一人いません。自分の本当の気持ちなんて他人からは絶対に見えないのです。私がこういえば、この子はこういう子なんだ、それで終わり。
アドバイスを求めるとき、他人に頼りたいときはちゃんとこういいます。「こういうことがあったんだけど、どうすればいいかな?」って。
「こういうことがあった」
「こういうことがあってどうすればいい?」
は全くの別物。
私は「こういうことがあった。そしてこんな気分だった。」と友達に伝えられればそれでよいのです。まぁ、友人が私のことを思って「こうすればいいんじゃない?」って言ってくれるのは重々分かります。でも私はアドバイスを求めていないのです。それが期待と重圧に繋がって自分自身を苦しめるのです。
こういう人間もいること、このブログをよんでいる人に知ってもらえればいいなー。
以上、さやはでした!
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