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「差別者」であるということ。
visibility1677 edit2021.03.24
それはちょうどレイシストが、相手の固有性を見ずに、単に国籍であるとか、肌の色、信じる宗教の違い、更には障害を持っている、ホームレスであるということだけを以って、相手を攻撃し憎む(ヘイト)ことと変わりありません。
わたしの場合はそのヘイトの対象が、「スマホ(或いはタブレット)を持っている。という一点に絞られます。
わたしを含め、所謂「差別者」は何故、肌の色、国籍、宗教の違いといった、大きな枠を乗り越えて、個々の人間性を見ようとしないのでしょう。(わたしの場合あまりに嫌悪感が強すぎて、そんな余裕がないということですが)
わたしは同姓の結婚を差別しません。
生活保護を受給している人が酒を飲んだりパチンコをしたりすることを認めます。
アルコール依存症を嫌いません。
ヤク中に嫌悪感を感じません。
自殺を肯定します。
貧しい人の盗みを認めます。
国、宗教、人種、傷害の有無で人を差別しません。
(・・・と書いていて思ったのですが、上にいくつか並べた「わたしが差別しない、或いは抵抗を感じない」と書いたことの多くは、逆に少なからぬ日本人が忌避し、眉をひそめ、或いは露骨に嫌う事柄ではないか、と。)
けれども、駅で、電車やバスでスマホを見ている人間に対してはしばしば殺意すら覚えます。
もちろん99件の事例について差別しないから、ひとつくらいの差別は許されるなどと思ってはいません。
わたしはあらゆる差別を憎みます。
しかし現実にわたしは「差別者」です。
スマホを持った人と肩が触れただけで、汚らわしいと感じます。
これはいったいどのような心理なのでしょう?
「差別」感情は何ゆえ生じるのでしょうか?
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