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10代後半 女性

不登校が周りにいた自分の思いを聞いて欲しい

visibility195 chat1 person瑠璃 edit2024.10.20

私は現在高校生なのですが、私の学校生活は常に不登校という言葉と隣り合わせでした。私自身は不登校の経験はありません。

一つ目は、小学五年の修学旅行でした。普段全く学校に来ない女の子が、修学旅行に来ると担任の口から聞いたのです。実際に、その子は当日学校に来ました。私は同じ班だったので何とか楽しんで欲しくて、色々話題を振って会話しました。自惚れかもしれないですが、楽しんでくれていたような気がします。
二つ目は、中学校です。中学校に入り、最初のクラスでは、小学校からの友達がいました。お互いの家に遊びに行くくらい仲が良かったです。二年生になってその子は学校に来なくなりました。会話の節々から察するに、その子は学校に意味を見いだせていなかったのかなと思います。
三つ目は、同じ部活の友達です。一年生の時に友達になったその子は明るくて面白くて思いやりもあって素敵な子でした。けれどその子は毎週水曜日に休むようになり、三年生になった年の五月、学校に来なくなりました。その子は他人に対してかなり気を使っていたので、疲れたのかなと思います。
他にも色々ありますが、私の中で一番影響があった不登校の話は、私の姉と妹です。私の姉は小中と不登校で、高校は特別支援学校のような場所に通い始めました。妹は小学校の後半から休みがちになり、中学一年の夏休み後学校に行かなくなりました。家で学校に行くのは、私だけになりました。

 学校に行くのが全てとは思っていません。今では通信制の大学もありますし、多様な進路が存在します。それでも三人いる子供のうち二人が学校に行かないことに対して悩んで、どうしてあげたらいいのかと苦悩している母親を見ると、なんだか無性にやるせない気持ちになります。私の両親は優しいので、無理に学校に行けとは言いません。私が学校に行きたくないと言ったら、絶対にいいよと言ってくれます。
私自身、学校は楽しいです。面倒な時もあるけれど、素敵な友人や先生方に恵まれて、充実した日々を送っていると思います。それでもふと、心身共に疲弊した中夜遅くに帰ってすぐ寝ないと明日の学校に間に合わない、という状況下で、日付が変わってもゲームをしている二人を見ていると、「私、なんで学校に行っているんだろう」と、嫉妬のような、羨望のような気持ちがあります。私が朝早く起きて学校の準備をしている間、二人は寝ています。何も気にしないで。目覚ましの音にも気づかないで。私が学校で授業を受けている間、二人はゲームしています。課題なんて気にしないで。

この状況に関しては、もう仕方ないと思います。二人が不登校になったのには、ちゃんと理由がありますから。努力していたのも知っています。家族ですから。こうして勝手に語らせていただいたのは、私と似たような境遇にいる人が居たらな、と思ったからです。もしこれをここまで見てくれた方の中で、今の私に似たような思いがある人はぜひ、コメントで教えてください。

最後にですが、私は不登校を否定する気は一切ありません。休みたい時は休みましょう。それが一番です。

暗い話が飛び交う世の中、皆さん今日もお疲れ様です。稚拙な文章を読んでいただき、ありがとうございました。
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コメント一覧

  • refresh約9ヶ月前
    退会したユーザー
    こんにちは。
    だいぶ日が経ってしまってからのお返事でごめんなさい。

    真摯な文章として読ませていただきました。

    ふたつありまして、ひとつめは3人のお友達のことですね。

    瑠璃さんがそばにいてくださったことで、その3人、ほかにもいらしたかもしれませんが、それぞれに安らいだ気持ちを持てていたように思います。
    ひとつの過程として不登校という状態になったことは確かにそうですが、それは「最終的な結果」ではまったくなくて、もしかしたらいまこの瞬間に瑠璃さんのことを思い出して何か前向きな思いを抱いているかもしれません。可能性として、ですけれども、ないとは言えませんよね。あるかもしれません。

    ふたつめはご家族のことですね。

    --------
    「私、なんで学校に行っているんだろう」と、嫉妬のような、羨望のような気持ちがあります。
    --------

    とのことで、うまく言えないのですが、ぼくが瑠璃さんのお立場だったらこの状況に嫉妬も羨望もあまり感じないような気がしていて、「この人たち、大丈夫なのかな」と思うと思います。
    「この人たち」と書くと突き放しているような印象に聞こえると思いますが、お姉さんと妹さんといってもそれぞれの人生ですので、どこかで瑠璃さんはご自身の選ぶ道を勇気を持って歩み出す時が来ると思います。
    高校生くらいの年齢だともう歩み出しているかたもたくさんいますね。

    身体に障害をお持ちでも尊敬されるような生きかたを実践しているかたはちょっと見渡すだけでもたくさんいらっしゃいます。
    電車の優先席でもお見かけできるかもしれませんね。

    お母さんとお父さんは3人のお嬢さんについておふたりそれぞれに入り混じった複雑な思いをお抱えのところだと思います。
    その中で、ぼくがいろいろ見てきた経験から感じるのは、この先、お母さんとお父さんの支えとなりパートナーとなるのは「大人」としての瑠璃さんのように思われます。

    そのために瑠璃さんができることは、日本の社会の仕組みについて、具体的には職業選択であったり、場合によっては福祉や健康保険、税金の関連などかもしれません。

    すぐに多くを知ることは難しいですが、ご両親がご存知のことは多くあると思いますので、ご自分で勉強したことと併せてご両親から「教わっていく」ということが大切なのかな、と思いました。

    「不登校」や「必要な休み」の中にも様々なグラデーションがあるんだよな、といま改めて考えています。
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